稲荷山温泉杏泉閣 新型コロナにより事業を停止

「杏泉閣」の名称で親しまれた千曲市内の老舗温泉施設・稲荷山温泉が4月11日、その事業を停止した。長野県内では2例目の新型コロナウイルス関連の倒産となる。今回、宮坂修由社長から特別にお話を伺う機会を得た。64年に及ぶ歴史と現状についてお聞きする(取材。5月16日)

長野オリンピックが最盛期


 稲荷山温泉は1956年(昭和31)に設立。当初は第三セクターとして運営されたが、1995年(平成7)に市の土地を買い上げ完全民営化した。宮坂さんは3代目の社長に就任。地元企業他団体から出資を受け、
事業を進めた。蔵の街の温泉施設は、日帰り入浴や宿泊、宴席のみならず、商工会議所の賀詞交歓会や地元企業の総会など幅広く利用されるようになる。
 1998年(平成10)には長野五輪に合わせグランドオープン。新たに「杏泉閣」の愛称が名付けられ、県内外から大勢の利用客が訪れてきた。入浴、宴会、宿泊と併せて最盛期には一日300人もの集客があったという。

競合温泉施設の誕生


 しかし、その後転機が訪れる。相次いで近隣の温泉施設がリニューアルされ、大浴場を備えた新温泉が誕生。次第に客足がそちらに移り始める一方、杏泉閣の施設は老朽化してもその求求になっていた。

それは完全民営化時の条件で、元々公共浴場だったことから、地元住民の利便性を最優先せざるを得ず、内湯・外湯を一体化させる古句な大規模な改装は行えないという事情もあった。
 集客力が落ちるのと時を同じくして、重油の値上がりが経営を圧迫していく。月の燃料費は300万円、電気代は1日当たり3万円にも上ったという。

経営立て直しへ向け再登板宮坂さんが経営手腕を買われ、5年半ほど前に再び社長に就任したのはそんなさなかであつた。再任後、インバウンド需要を見据えてシンブルの部屋をダブルに改装するなど設備投資を増強。クラブツーリズムにも取り上げられるなど、宣伝にも注力した。

2年前には苦しい財政状況のなか、全面的に漏水の修繕も施している。

台風と新型コロナのWショックだが、再建へ道半ばだった昨年の10月。台風19号により、大幅な集客の落ち込みに見舞われてしまう。年末年始の売上は大きな打撃を受けた。そこからようやく回復の兆しが見え見矢先の新型コロナによる追い討ち。それはあまりにも過酷なものだった。

春先のみならず8月の予約までが続々キャンセルとなっていき、出口の見えない苦闘の日々が続いた。「私から見から戦争よりも酷い。戦争は人が始めたものだから終わらせることが出来るが…」感染症という目に見えない相手。

全く先が見通せない苦悩が社長の双肩に重くのしかかった。金融機関やスポンサーの間を連日奔走したが、ついに事業継続を断念。
自己破産手続きに入る決断に至ったという。

「地域の皆さんの憩いの場、拠り所としてやってきたのに申し訳ない」宮坂さんは言葉を詰まらせる。さらに「来年の善光寺御開帳に向けて、色々と仕掛けもやっていたのに残念だ」と無念さを滲ませた。

地域のシンボル存続への思い 現在、社員数は13人。パートも含め40人近い従業員を抱えている。雇用を守りたいという思いは強い。7月15日には債権者集会が開かれる予定だ。


 「稲荷山の温泉を何としても継続させたい。地域の皆さん、金融機関の方々、すべてに恩返しをしたい。いまは存続させるために全力でやっている」再生を目指す社長の言葉には、地域のシンボルを絶やさせたくないという強い決意が感じられた。

三角屋根が特徴的な建物は稲荷山のシンボル的存在として親しまれてきた