ウッドハウスの世界(17)森村たまき

ウッドハウスの世界

森村たまき

(17)

こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。前回はウッドハウスが二歳の時に香港の親許を離れ暮らしたバースの祖父の家についてお話ししました。今回はウッドハウスが二歳まで過ごした香港についてちょっとお話ししましょう。

 ウッドハウスの父親は香港の治安判事だったと伝記の類には記されていますが、これがどのくらいの地位だったかというと、いまひとつピンとこないところがあります。しかもウッドハウスは経済的事情でオックスフォード大学進学を断念して、高卒で香港上海銀行(HSBC)に就職したのですから、おそらく大英帝国の植民地統治官の一人、給与もそれほど高くない中級官吏だったのかなあと想像してしまうところです。

 ウッドハウス家はノーフォークのキンバリー伯爵ウッドハウス家を本家とする旧家です。

ウッドハウスの父ヘンリー・アーネストは一八四五年にノーフォークで生まれ、一八六九年に警察幹部候補生として香港に渡って広東語のできる学生通訳としてキャリア開始し、一八九五年の退官時には香港治安判事裁判所主席判事、ビクトリア監獄の長、検視官を兼任し、さらに香港立法会(香港議会ですね)の議員でもありました。

ちなみに同時期に香港警察の長を長く務めたウォルター・メレディス・ディーンはウッドハウスの母の実兄ですし、ウッドハウスの長兄のフィリップ・ペヴリルも香港警察トップのポストについています。

ウッドハウスの家族は、香港における警察、司法、矯正を一手に担う刑事司法ファミリーで、しかもお父さんは立法府のメンバーでもあったわけですから中級官吏どころの話ではありません。

 とはいえ、ウッドハウスが経済的事情で大学進学を断念して香港上海銀行の行員になったのは事実であり、ウッドハウス伝では謎とされるところです。すぐ上の兄、アーミンは同じダリッジ校で学んだ後オックスフォードに進学し、神秘主義哲学を修めてインドで大学教授になりました。

一方、長兄のフィリップは大学に進学せず、父と伯父と同じ香港警察でキャリアを築いています。ウッドハウスが進学を断念させられたのは、父親が退官してイギリスに戻ってまもなくのことです。自分の影響力が残っているうちに、息子に香港経済界に進ませたいと父は思ったのではないかなあと、香港を歩いてみて愚かな親心に思いを馳せたのでした。

 写真は香港警察本部、治安判事裁判所、ビクトリア監獄が集合する刑事司法エリア。二〇一七年訪問時は工事中でしたが、二〇一八年に完成し、歴史とアートのおしゃれな複合施設「大館」として公開されています。

 ウッドハウスの名作『春どきのフレッド伯父さん』九月二五日刊行です。どうぞよろしくお願いします。