ウッドハウスの世界 森村たまき (23)

ウッドハウスの世界 森村たまき (23)

 こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。長らく続けさせていただいたこの連載も今回が最終回となりました。コロナ禍ゆえに二年以上帰省もままならず、訪れることのできずにいるふるさと千曲市ですが、『ちくま未来新聞』のお蔭様で、懐かしい故郷とのつながりを毎月感じ、様子を窺い知ることができました。二年間本当にありがとうございました。

  さて最終回の今回は写真のノーフォークのハンスタントン・ホールにある八角館のお話をいたしましょう。これは二〇一二年に英国ウッドハウス協会の皆さんと一緒に訪問した際の記念写真ですが、八角館頂上で手を振っている左の人が私です。

  ウッドハウス家は旧家で、一四一五年にアジャンクールの戦いでナイト爵を勝ち取ったサー・ジョン・ウッドハウスを始祖とします。十五世紀以来ノーフォークのキンバリーに住まい、一族の長は庶民院議員の任に就き、一六一一年に准男爵位獲得、一七九七年男爵に昇位、一八六六年には伯爵に封ぜられた名家です。この八角館はウッドハウス家の遠縁につらなるレ・ストレンジ家の居館、ハンスタントン・ホールの一角にあるのですが、ウッドハウスは一九二四年に初めてこの館に滞在し、以後十年間にわたって頻繁に訪れ、一九三三年には数ヶ月間この館を借りて暮らしてもいます。

  ジーヴスシリーズ『でかした、ジーヴス』所収「ジーヴスと迫りくる運命」で、どしゃ降りの雨の中バーティー・ウースターは凶暴な白鳥に追われ、命からがらこの八角館の頂上に逃げ登ります。私は二〇〇八年にここを初めて訪れた際、ご当主マイケル・レ・ストレンジ・ミーキン氏にご案内いただいてせっかく一緒にこの壁を途中まで登ったのに、つい遠慮しててっぺんまで登らず止めてしまいました。それがずっとずっと心残りだったのですが、二〇一二年に沢山のウッドハウス友達とこの地を再訪した際、念願の登頂を果たすことができたのです。作中に「規則的な間隔をあけて窪みがあり、手と足を置くのにちょうどいい」とあるとおり、途中までは楽々登れるのですが最後の胸壁部分には手をかける場所がありません。長身で手足の長いバーティーには楽勝だったでしょうが、私は一度目はここで失敗して転落してしまいました。幸い着地に成功して無傷で済み、痛みをこらえながら二度目になんとか無事登頂したのでした。それはもう、嬉しかったですよ。

  海外も随分遠くなってしまったこの時代に、ウッドハウス翻訳者をしているお蔭様で訪ねられた場所、めぐり逢えた人たちのことを、この連載を通じて振り返り思い返すことができました。登頂の時のあの胸の高揚をありありと思い起こしながら、またいつかお目にかかりましょうと、八角館の頂上から手を振っているつもりで最終回のお別れといたします。皆様さようなら、ありがとうございました。