コラム 漢字と花  桔梗 ききょう 別名は盆花・嫁とり花

コラム 漢字と花  桔梗 ききょう 別名は盆花・嫁とり花

 桔梗の古名・阿利乃比布岐は、蟻が好んで桔梗の根を食べ、根元に火口のような穴をあけることから「蟻の火吹き」の意味だという。

 桔梗の根はあらゆる病に効く為、延命長壽・病気治癒の願いを託し、又桔梗の漢字から木偏を除くと「吉」と「更」になる。ここから「更に吉になる」とされ吉を呼び込む縁起の良い花となり、文様や家紋に使われています。

 家紋では陰陽師安倍晴明の「晴明桔梗」、初代江戸城を作った太田精勝軒道灌の「丸に細桔梗」、明智光秀の「水色桔梗」などが有名です。

 明智光秀は清和源氏の流れを汲む、美濃国守護大名土岐氏の一族です。桔梗のもう一つの古名・乎加止止岐は「岡に咲く神草」の意味だと。

 「止止岐」の咲く場所の意から、土岐の地名が生まれ、そのため土岐氏の家紋が桔梗になったという。

 別の説では、いつの時代か不明であるが、土岐の頭領が出陣で城を出る時、桔梗の花を自ら摘んで兜に挿んだ。

 武家が花を愛でるのは命への懐かしみなのだろうか、土岐氏は死を覚悟して軍に臨みましたが、偶々この戦に勝利した事から、縁起が良い花として桔梗を家紋に用いたとも伝えられている。

 南北朝の争乱を描いた小島法師作の軍記物「太平記」に、土岐悪五郎が桔梗紋を用いた記述があります。「水色の笠符吹流させ」は桔梗紋を指しています。

 余談ですが悪五郎の「悪」は強い・激しいなどの意味を含んでいます。

 悪源太義平や悪七兵衛景清なども同様です。

 天平十年(一五八二年)弥涼暮月(六月)十三日、山崎の合戦で敗れた光秀が謀反人にされると、桔梗紋は縁起が悪い・秀吉への遠慮なのか、敬遠されたが、光秀の領国丹波や近江では使い続けられた。政務や學問に秀で善政を施していた故、家臣や領民は光秀亡き後も慕い続けていた証なのです。

(山田信彰)