さらはにズム ちくま論説

さらはにズム ちくま論説

▼千曲市は本年、合併して20年を迎える。2000年7月、一市二町の「合併協議会」が設立。以来、2003年までに実に35回にわたる協議会が開催された。

▼この間には「新市将来構想」の策定や合併に伴う膨大な量の「事務事業の一元化」。77か所での住民説明会の開催。そして18歳以上の住民による「合併の賛否を問うアンケート」では、賛成が61・7%、反対が21・5%だった。

▼また、2002年8月には、新市の名称を募集。2114通346種類の中から「更科市」と「千曲市」に絞られ、同年12月から「更科市か千曲市かを問う住民アンケート」が実施された。結果は「千曲市」が51・3%、「更科市」が46・6%だった。

▼こうした結果から2003年2月、一市二町の首長が合併協定書に調印。県議会の議決を経て「9月1日」に千曲市が誕生した。

▼一方、市議会は、合併前の市・町の議員(54人)が特例で新市の議員となったが、人数が多いとして市民グループが「議会の解散を問う住民投票の請求」を市選管に提出。これを機に全議員が辞職する異例の事態に発展。出直し選挙で定数24の新たな議員が選出された。

▼以上が合併による主な経過だが、千曲市の誕生は県下初の「平成の大合併」として、経験値や前例もない中での取組みであり、関係者の努力を評価したい。

▼千曲市は、この20年で大きく変わった。未曽有の台風19号やコロナ感染症も乗り越えてきた。姨捨の棚田など「月の都千曲」が日本遺産に認定された。自治体間競争ともいえる産業振興では、雨宮産業団地や八幡東産業団地での企業進出も順調だ。また人口減少の中、観光振興にも結び付く様々な市民団体の活発な活動は明るい材料といえる。

▼ただ一つ心配なのは、屋代南高校の存続だ。人口58000の市に高校が1校となったらあまりにも情けない。二十歳を迎える千曲市。若者が集う学びのまちを目指してほしい。