フォト&エッセイ 自転車のある風景 第三十四回 オーストラリア横断自転車旅行  アボリジナルリザベーション

フォト&エッセイ 自転車のある風景 第三十四回 オーストラリア横断自転車旅行  アボリジナルリザベーション

 強い逆風の遅れを取り戻すべく、夜通し走ってようやく辿り着いたヤラタは深い朝霧に包まれていた。大きなブーメランの看板が目を引くその辺りは、そのブーメランで狩猟をしていたオーストラリア先住民族アボリジナルの部族のひとつ、アナングの人々の自治区だった。

独特の重低音を響かせる管楽器ディジュリドゥや、ドット模様で描かれた野生動物などのアートで知られる彼等だが、パースにいたころ街で見かけることはあっても、彼らが先住民であること以外はほとんど彼らのことを知らなかった。政府からの生活支援を糧に、昼間から路上で泥酔している印象が強かったが、異国での自転車旅行中は、彼らのたどってきた歴史や、現在の置かれている状況などに思いを寄せる余裕がなかったのかもしれない。

ヤラタの手前にあるロードハウスで、”ヤラタはアボリジナルの自治区なので気を付けたほうがいい”と言ってくる人がいた。そう言ってくること自体になんとなく差別的なニュアンスを感じたが、具体的には何に気を付ければいいのかわからず、とりあえずはじろじろ見たりせずになるべく早く通り抜けようと、そんなことをぼんやりと考えながら走っていた。

しかし、霧の中から現れた彼らの車を見た時、自分が目にしたものの認識が追い付かずに、思わず視線を逸らせずに注視してしまった。乗り合わせて走っている彼らの車には屋根がなかったのだ。オープンカーではない。どこにでもある乗用車なのだが、本来あるべき屋根やフロントガラスが切り離された改造車(?)が普通に道を走っていたのだった。

まるで荒廃した近未来を舞台にした映画の一場面のような光景に呆気に取られてしまった。ここがオーストラリアの法に縛られない彼らの自治区であるという事の意味をその時改めて知ったのだった。

オーストラリアにおける先住民の歴史を知ったのは日本に帰ってきてからだった。それは自分の知っている陽気なオーストラリアの裏に隠された負の歴史であるとともに、現在も続く社会問題でもあった。

そしてそれは決して他人事ではない。自分達の住むこの国にも同様の先住民族に対する迫害の歴史があったのだということも、忘れてはならないとそう思ったのだった。