坂城町は、長野県の北信地方に位置し、千曲川の清流と周囲の山々に囲まれた自然豊かな町です。同時に、機械・金属加工を中心とした約200社の製造業が集積し、「ものづくりの町」としても知られています。
自然環境
町内には「さかき千曲川バラ公園」があり、約330品種、2,300株のバラが植栽されています。毎年5月下旬から6月上旬にかけて開催される「ばら祭り」では、多くの観光客が訪れ、バラの美しさを楽しんでいます。
産業
坂城町の工業は、昭和16年の宮野鑢工場(現・株式会社アルプスツール)の誘致に始まり、戦時中の疎開工場の設立を経て発展してきました。現在では、機械・金属加工を中心に多様な製造業が集積し、高精度で複雑な加工技術を持つ中小企業が多数存在しています。
歴史
坂城町(さかきまち)は、長野県北信地方に位置し、古くから交通の要衝として栄えてきました。その歴史は多彩で、戦国時代から江戸時代にかけて重要な役割を果たしています。
戦国時代の坂城町と村上義清
戦国時代、坂城町は信濃国の有力な武将、村上義清の本拠地として知られていました。義清は、甲斐の武田信玄と二度にわたり戦い、これを撃退したことで名を馳せました。しかし、天文22年(1553年)、武田軍の猛攻により葛尾城が落城し、義清は上杉謙信を頼って越後へと逃れました。この出来事は、後の川中島の戦いへと繋がる重要な歴史的背景となっています。
江戸時代の坂木宿としての繁栄
江戸時代に入ると、坂城町は北国街道の宿場町「坂木宿」として発展しました。慶長8年(1603年)に伝馬宿として成立し、参勤交代や善光寺詣りなどで多くの旅人が行き交いました。当初は立町と横町から成っていましたが、交通量の増加に伴い、大門町と新町が新設され、宿場の規模が拡大しました。特に加賀藩主前田氏の通行時には、500人を超える家臣団が宿泊するなど、賑わいを見せました。
坂木宿の文化と遺構
坂木宿には本陣が設けられ、宮原家が世襲していました。現在でも、昭和初期に建てられた「坂木宿ふるさと歴史館」に本陣の長屋門の遺構が残されています。また、宿場の南端には村上義清の墓所がある田町十王堂、北端には善光寺常夜燈があり、歴史的な遺構が点在しています。
近代以降の坂城町
明治時代には、町村制の施行により坂城村が自治体を形成し、1904年(明治37年)に町制を施行して坂城町となりました。その後、周辺の村との合併を経て現在の形となり、工業の発展とともに「ものづくりの町」としての地位を築いています。
このように、坂城町は戦国時代の武将の活躍から江戸時代の宿場町としての繁栄、そして近代の工業発展へと、多彩な歴史を持つ地域です。これらの歴史的背景は、現在の町の文化や産業にも深く影響を与えています。
観光スポット
- 鉄の展示館:刀匠・人間国宝の故宮入行平氏の功績を顕彰し、刀剣や鉄に関する展示を行っています。
坂城町は、豊かな自然環境と高度な産業技術が調和し、歴史的な背景も持つ魅力的な地域です。観光や産業の面で多くの可能性を秘めており、訪れる人々に多彩な体験を提供しています。
坂城町役場の住所: 〒389-0692 長野県埴科郡坂城町大字坂城10050番地