◆みんなが輝く未来社会を創る特集 ちくま未来戦略サロンvol.31
1月18日、(一社)ちくま未来戦略研究機構は千曲市の内外で活躍する3名の女性をゲストに招き「ちくま未来戦略サロンvol.31」を開催しました(特別協賛/エムケー精工㈱)。お三方の自己紹介とトークセッションの一部を掲載します。
滝沢玲奈さん(元フジテレビ記者・現在は滝沢食品㈱専務取締役並びにエムケー精工㈱社外取締役)
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滝沢玲奈と申します。千曲市の出身で、現在は千曲市に住んでます。年齢は36歳です。小学生の子供が1人います。大学から一つ目の就職先の間の10年ちょっとを東京で過ごし、2016年に長野に帰ってきて、自分の会社に入ってから8年半ほどというところになります。
2010年に東京大学の経済学部の経営学科を卒業しています。その後、 株式会社フジテレビジョンへ入社をしまして、2016年まで6年半ぐらいの間仕事をしていました。
フジテレビに入って最初は内勤という仕事で2年間ほどカメラマンが撮ってきた映像と記者が書いた原稿をつき合わせて、映像作りをやりました。その後、社会部の記者になり、警視庁を担当しました。記者生活の2年目に政治部へ異動し、政治部で一番最初に担当したのが総理番記者という仕事で、私が 総理番記者をやっていた1年間は、ちょうど第2次安倍政権が始まったすぐのところで、安倍晋三元総理の担当を1年間したんですが、(安倍元総理は)体調不良から復活して返り咲いたところだったので、ものすごいパワフルで、やりたいことをされていたと思います。総理番の後は、自民党の担当の記者を2年間やりました。
2016年に会社を退職して長野に帰ってきました。長野に帰ってくる理由としては、特に父に乞われたりとかは一切なくて、あまり本当に何も考えてなかったんですけれども。長女ですし、やっぱり私がやるしかないなと決断して、28歳の時に長野に帰ってきました。で、その時はいろんな方に、「辞めちゃうなんてもったいないね」っていう風に 言われることが結構多かったのですが、私の中で記者の仕事は結構やりきった感があって、もういいかなという風に最後思うようなところもあったので、特にマイナスな気持ちはなく、自分でやりたくて、今の会社に入ってやりたい仕事をしていると思ってるのでよかったなと思ってます。 それから、あともう一つ長野に帰ってこようと思ったのは、その時は子供はいなかったですけれども、いずれ子育てをするとしたら、自分が育ってきたような環境で長野で子育てしたいなっていう風に思ったっていうのがすごく大きくて。ちょっと東京で子育てをするっていう感覚に私はなれなかったし、そこをうまくできる自信もなかった。考えることが多すぎて、東京ではちょっとできないかなっていう風に思っていたので、そんなこともあり長野に帰りたいなという風に思いました。
宮城恵美子さん(宮城商店専務取締役・木の花屋ブランドマネージャー)
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実は私も27歳の誕生日の前日に宮城商店に嫁ぎました。東京に9年間ぐらいいて、悩んで帰ってきた。自分の意思で帰ってきたっていうことがあったので、女性の生き方って時代は違うんですけど、似てるところがあるのかなと思いました。
1960年に屋代の駅前で生まれました。いつも屋根の上で空見てるみたいな変な子だったんで、今で言うとかなり特性のきつい子だと思うんですけど、本当に自然豊かなここで育ったことは良かったと思います。
ただ、その晩年というか、最近になって災害に遭いました。千曲川の台風19号の氾濫の時に、まさかと思ってたんですけど本当に水がどんどん来て。それで床上80センチの浸水になってしまったんですが。霞堤防というすごい古い治水技術で、人々の生活を守るために作られた堤防の中にある工場だったんだっていうことに気が付いて愕然としました。自然にはすごく恵みと、そして災害の脅威というものがあるということに、この60数年振り返った時、この千曲市から学ばせていただいてるなっていう感じがします。
私は千葉の大学でバイオを勉強してたんですけど自然な微生物の働きとかそっちの方に興味が行って、マンズワインさんの小諸工場で働きたいと思ってマンズワインさんのドアを叩いたんです。そしたら、なんと、男女雇用機会均等法の前なのに、 いわゆる総合職として、ラッキーなことに採用していただいてしまいました。事業開発とかブランド開発の部署でしたので、そこで色々仕事させてもらって、女性の感性を生かしてほしいと言われて、お仕事させていただきました。
期待されてもないかもしれないけど色々やらせてもらって、これで本当に私やってけるのかなってすごく不安に思ったのと、あと、やっぱり当時結婚して子供を産んで、それでここで働き続けられるんだろうかっていうのがちょっと不安だったので色々考えました。そしたら、 マンズワインが「フードへの回帰」ってCMを流してて。そうだ、私もフードへ回帰しようと思い、それで長野に戻る計画を立てました。農産物の加工と、発酵と、そして結婚して子供ができても働ける仕事っていうことで考えた時に、なんとなんと、身近に漬物屋の主人がおりまして、同じじゃんって思って、私がやりたかったことはここだったのかもって思って。で、運良く結婚と再就職が決まったということでございます。
峯村玲子さん(AlphabetKidsインターナショナル保育園園長・2023年より長野県教育委員)
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風邪気味でマスク着用で失礼しますがよろしくお願いします。年齢で言うと1977年生まれになります。それで、お話を聞いてて本当に面白いなと思ったんですけども、私も進学を機に県外に出ましたが、帰ってきたのが28歳です。女性の28っていうの何かあるんですかね。私は色々人生を思い悩む中で、もうダメだと思って帰ってきた感じです。
千曲市の打沢の生まれでして、青春時代を水泳に打ち込んでおりました。残念ながら競泳では芽が出なかったものですから、高校進学を機にやめてしまったんですけれども、その時もずっと英語っていうものには興味がありまして、英語を突き詰めて学んでいきたいなっていうことから、県外の文学部英文学科を受けまして。両親に大学へ出す条件は教員免許を取ること、そして教員採用試験を受けることだという風に言われましたので、教員採用試験を記念受験しました。全く受かる気もなく受けたものですから、当然受かりません。その後、その教員採用試験を受けたことでお声がけをいただいて、佐久、今で言いますと佐久平総合技術高校ですかね、当時、臼田高校っていう名前の公立高校で常勤の講師として勤めました。その後、また県外に出まして、民間の学習塾であったり 英会話スクールであったり、民間で英語の先生として長く時間を過ごしておりました。で、先ほども申し上げたように、もうダメだと思ってこっちに帰ってきて。その後、通信制の高校に勤務しまして、常勤で勤務をしてるっていうような形で、色々なところで立場を変えたんですけれども、一貫して子どもと英語っていうものに関わる仕事をずっとさせていただいております。
2021年の4月から現在のアルファベットキッズインターナショナル保育園というところに勤務しているんですけれども、園長という立場をいただいてますが経営者ではございません。それで保育理念としては“every child is beautiful”。every childは全ての子供たちで、beautifulは美しいという風に訳されますが、ここでは「素晴らしい」という意味。 どんな子どもたちも、どんな風に違ってても、みんながみんな素晴らしいよねっていうことです。
どんなお子さんたちがいらっしゃるかというと、ほとんどの方はバックグラウンドに日本人のご両親をお持ちなんですけれども、国籍で言うと、ブラジル、アメリカ、フィリピン、タイ、ネパール、イギリス、そして日本。そういう国をバックグラウンドに持つお子さんたちをお預かりして保育をしております。そんな中で言語であるとか、見た目であるとか、自分の持ってる文化であるとか、背景であるっていうことが他の人と違うっていうことが当たり前で、それを人との違いっていうもの、受け入れ合うっていうことをとても大切にして過ごしている。ぜひお時間ありましたら、遊びに寄っていただければなと思います。
【ファシリテーター】藤原正賢さん(㈱BAZUKURI代表取締役)
トークセッション
◆千曲市の魅力・発展のカギは?
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(藤原)現在千曲市に住まわれて千曲市の可能性として感じているポイントをお伺いしていいでしょうか。
(滝沢)千曲市との関わりっていうところで、先ほどもお話したように、長野で子育てしたいって思って帰ってきたっていうことがあるんですけれども、地元っていうか田舎でっていう言い方でいいと思うんですが、地元で子育てをできて本当に良かったっていう風に私はすごく満足しています。東京にいた時に、小学校のグラウンドがものすごい狭くて、本当に広い校庭のある学校で学べるってことはすごい幸せなことだったんだなって今は思います。
「こういう教育を受けさせたい」って思いが浮かんだ時に、それを子供に与えられるかというと、ちょっとそれは難しそうだなと思っていますが、それに勝る自然環境があるっていうところが私にとっての一番のポイントです。
(藤原)峯村さんは実際に千曲市で変化とか手応えはありますか。
(峯村)去年の5月にフリースクールが千曲市内に立ち上がったんですけども、それも私たちが関わらせていただいて。中学校の教育支援センターとフリースクールとの連携だったりとか、中学校の先生、小学校の先生の学校と、このフリースクールっていうものの連携だったりとかっていうところは、手応えというか少しずつ進んできているなっていう実感はありますね。長野県の教育委員会の方でも、来年度からスタートする「ウェルビーイング」=好きをとことん追求する学びっていう制度がこれから始まるんです。残念ながら千曲市は手が上がりませんでしたけども、そういうことの理解が進んできているのかなという感覚はあります。
(藤原)千曲市らしさというか、千曲市の特性を生かしたブランドや企業を作っていくっていうために、意識されていたことはありますか。(宮城)この適度なコンパクトさっていうのが、私はありがたかったですよね。地理もそうですし、学校も数校しかなかったりとか。何かをこうやろうと思ったり動き出す時って、例えばこれを長野市でやろうとしたら、すごく地理的にも大変だし。だけど千曲市って市町村の中では小規模なので、軌道修正がすぐできたり、反応がすぐわかったりとか、そういうことができると思うので。
例えばね、長野市とか、東京で成功するすごい人たちもいるかもしれませんけど、なんか、ちょうどいい大きさなんだなっていう感じで。多様性を見えるじゃないですか、山の方の地域があったりと、都市部があったりとか。だから、私は何度も申しましたけど、この千曲市って良かったなと思います。
(藤原)個性を伸ばすため子どもたちと向き合ってく中で、何を意識して、どんなこと大事にしていますか。
(峯村)安心して失敗できることがすごく大事なんですよね。やってみたけどうまくいかなかったら終わりじゃダメなんですよ。どうしても今、学校にいる時に、失敗しないように、失敗しないようにと。失敗をすると怒られるので、そういうところを、ちょっと窮屈だと感じることが多いのかなという風に思いますが、社会の中で、やってごらんっていうようなね。そういう寛容さが出て、失敗した経験、失敗したら、いかがでしたかっていうその体験とか。そういうものも日々の中で子供たちが感じていけることっていうのが大事なんじゃないかと思っているんです。
(藤原)実際に千曲市で暮らして、印象が変わったことはありますか?。
(滝沢)今になって思うのは、東京にいる時に、千曲市のことをもっと身近に感じていたかったし、知りたかったなって、すごく思うところがあって。もちろん私だけじゃなく進学や就職でこの千曲市を離れる人たちは、それぞれその場でやりたいことがあるからそこでやっている訳ですから、みんなそこに打ち込んでるとは思うんですけど。そんな中でも、もう少し千曲市との関わりとか、今千曲市がどんな感じなのかとか、そういうものがちょっとでも情報として入ってきてたりとか。色々やってますっていう楽しくやっている取り組みをわかってもらえると、何かどっかのタイミングで帰ってもいいかなと思ったり、ライフステージのどこかで千曲市にもうちょっと関わってみようと思ってくれる人が増えるかなっていう風に思います。
(藤原)最後に滝沢さんから感想とか、千曲市でこんなことをやれたらとかあったらお願いします。
(滝沢)お話の中で寛容さっていう 表現が何度か出てきて、教育の部分であったりとか、あとは職業選択においての寛容…寛容性というかね、いろんなものから選べるって選択肢の部分だったり。その寛容性っていうのはすごく今年キーワードになっていくんだろうなっていう風に思ってます。長野県としても、寛容性ってところをすごく重視していますが、この寛容性って言葉は、なかなか自分の中にしっくり落とし込みができるのは、まだだいぶ先になりそうだなっていう感じで。そういう気持ちを持ってるつもりだけれども、やっぱり気付かずにやっている色々な言動が、その寛容性が外れている可能性もあるので。でも、そういう気持ちを考えながらもう少し、一歩自分の中でも深めていきたいなっていう風に、今回色々なお話を聞く中で思いました。
滝沢玲奈さん
宮城恵美子さん
峯村玲子さん
藤原正賢さん
会場では出席者同士の話し合いの場も設けられた
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今回の「ちくま未来戦略サロン」の模様は「ケーブルネット千曲」で放送されます
放送予定日 2月22日(土)23日(日) AM10:00~ PM9:00~