笹屋ホテル 豊年蟲  文豪縁の宿(前編) 文豪 笹屋ホテルから散歩を愉しむ

笹屋ホテル 豊年蟲  文豪縁の宿(前編) 

戸倉温泉の笹屋ホテル様から国登録有形文化財「豊年蟲」(ほうねんむし)に関するエッセイのご紹介を頂きましたので掲載します

文豪 笹屋ホテルから散歩を愉しむ

―信州戸倉温泉に来てもう七日になる。―

 「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉は、昭和2(1927)年に約2週間、笹屋ホテルに滞在しました。小説『邦子』を書き、一息ついた心もちを記したとされるのが、この一文から始まる短編『豊年蟲』です。

―書いて疲れる。湯に入る。寝転んで本を讀む。それでなければ、散歩する。―

 エッセイとも私小説とも読めるこの作品の主人公「私」の行動は、当館で過ごす志賀直哉そのもの。執筆の合間に宿をふらりと出て、千曲川の堤や更級神社の杜など気ままな散歩を楽しみます。そこで目にしたものや、ゆきずりの出会いが淡々と描かれる『豊年蟲』は紀行文の趣です。当時文豪が目にしたであろう約90年前の景色を追う小さな旅に出てみましょう。

揺れる大正橋を渡って

 ある日「私」は大正橋を渡り、上田への遠出散歩に出かけます。

―太い亞鉛の線金を欄干にした橋は、自動車が來るとよく揺れた。―

 当時の大正橋は大正3年に架けられた2代目の木橋。往きには歩いて渡ったこの橋を、夜になった帰路は乗合自動車で渡ります。乗客の会話や橋板の「けたたましい響」を聞き、地元で「豊年虫」と呼ばれるかげろうが無数に渦を巻いて飛ぶ様を窓から眺めながら。ちなみに現在の大正橋は平成14年完成の4代目です。

 さて、戸倉の停車場に向かう途中、前を過ぎた造り酒屋は「坂井銘醸」。戸倉上山田温泉の開発に尽力し、笹屋ホテルを創業したのはこの蔵元の当主でした。

古城の監獄

 戸倉から汽車で上田に着いたのは午後5時過ぎでした。1時間半と時を定め、「私」は人力車で上田見物に赴きます。

―眞田幸村が築いたといふ城が町端れにあり、それから見物する。―

 堀から架かる二之丸橋から見えたのは城ではなく、なんと監獄でした。高い石垣の上にさらに塀が築かれ、その奥の上田監獄署を囲んでいたのです。夕暮れ迫る古城の跡にそびえる白い土塀と監獄を文豪はどんな思いで眺めたのでしょうか。すでに「空家」だった監獄所は、翌年にはすべて取り壊されました。現在は博物館が建てられ、時代の記憶を伝えています。

 この後、「私」は車夫に注文し、賑わいを求めて「山の方」へと車を急がせます。

その先に見た風景とは?次号へ続きます。

坂井銘醸 萱 写真(下)

笹屋ホテル全景 写真(上)

 大正橋渡り初め (大正3年) 写真(中) 提供:長野県建設業協会更埴支部 /千曲建設事務所

※テキストは笹屋ホテル  冊子「Sasaya」より