essay 東京だより(第2回)

essay 東京だより(第2回)

こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。東京でご活躍される千曲市ゆかりの方々のご活躍を書かせていただく第2回目は、屋代高校東京鳩会会長、重見憲明さんのご紹介をいたしましょう。

 重見会長は昭和21年生まれでご出身は現在の長野市信州新町、上水内郡信級村。千曲市では高校3年間、屋高近くの下宿から通学されたそうです。結婚して奥様の重見姓を選ばれましたが(奥様への愛を優先する、当時としてはとても勇気のいる選択だったと拝察されます)旧姓は村田さん。陸上部で短距離を走り、拓本部では姨捨長楽寺の芭蕉の句碑を写したり、生活力と自分で決める気概を身につけた3年間だったとのこと。学園紛争ただ中の一橋大学を卒業して大手鉄鋼メーカーの日本鋼管にご就職後、JFEグループ傘下JFE都市開発の初代社長を9年間勤めてご退任されるまで41年間、大企業の第一線でご活躍されました。また在職時から川崎市の商工会議所副会頭、人事委員会委員長と大きな公の役職を歴任していらっしゃいます。座右の銘は不将不仰応而不蔵。

 と、こう書いてくるとどんな厳格で近寄りがたい方と思われるでしょうが、私が知っている重見さんはいつもにっこりご機嫌で笑みを絶やさない、ひたすら優しいお地蔵様か菩薩様のような愛され体質のお人です。会社OB仲間で10年間続けている読書会が、事前レポート3ページ以上、30分の発表質疑から飲み会という「超ハード」で、おかげで読書三昧ができていますよと笑い、お住まいの杉並区の日本語教室では日本の経済・文化事情をテーマに外国人にボランティアで週2回教えてらっしゃるそうで、屋高健児の志やいや高しというものです。そうそう、芥川賞作家、『コンビニ人間』の村田沙耶香さんは、裁判官でいらしたお兄様のお嬢さんで、重見さんの姪御さんでいらっしゃるのですよ。

 さてと写真をご覧ください。左が重見さん、右は元タカラジェンヌの朱紫令真さんです。朱紫さんが昨年4月にご退団後、幹事みんなでお祝いした時の写真です。次回は朱紫さんのお話ができるといいですね。それではまた。