第4回 「上山田温泉物語」 戦争への足音と戸倉上山田温泉

第4回 「上山田温泉物語」 戦争への足音と戸倉上山田温泉

 城山山頂にはふるさと創生一億円事業で平成7年(1995)に荒砥城址が復元オープンされ、城山史跡公園「荒砥城跡」となりました。

 遡って昭和15年(1940)にこの城山山頂には紀元2600年記念の国旗掲揚塔が建設されました。林の中を人一人進むのがやっとのつづら折りの山道を毎朝少年団員が国旗掲揚のため駆け上がりました。

 旅館は中国の戦線拡大により傷病兵を受け入れる状況となりました。昭和16年(1941)の真珠湾攻撃から日米英が開戦。さらに翌年ミッドウェー海戦の敗北で戦局が変わり、日本本土への攻撃が近付き、昭和19年(1944)6月からは学童疎開が始まりました。同年11月からは本土空襲が始まります。

 戸倉上山田温泉の旅館や周辺寺院なども池袋近辺の小学校の学童疎開を受け入れます。 軍需関連の工場疎開も行われました。大正橋西詰八王子山には今は立ち入ることができないトンネルがあります。50年ほど前までは戸倉上山田中学校に通う生徒がトンネルを通って通う姿も見られました。戦時中はその中に利根川製作所の工場が疎開していました。この社長の利根川さんが源泉を買い取りました。入浴時に肌に泡が付き泡の破裂時に超音波を発生させることから現在万葉超音波温泉の名前が付いています。

 戦後国旗掲揚塔は荒れ果てましたが、昭和40年頃に宮本光儀氏の城山観光開発が展望遊園地・動植物園を建設し、善光寺大本願別院城泉山観音寺が勧進されました。またそれに合わせて長野県企業局が聖冠道路(現在の県道498号線聖高原千曲線)を開通しました。

国旗掲揚塔の図面