おじょこな800字小説 作・塚田浩司 第三十八回「刺身の盛り合わせ」
大晦日。東京から帰郷する俺のために、母が腕をふるって料理を作ってくれる。唐揚げにハンバーグにフライドポテトなど子供が好きなものばかりだ。俺ももう二十六になるが母から見るといつまでたっても子供らしい。
美味しそうな匂いにそそられてリビングに足を運んだ。しかし食卓を見て違和感を覚えた。
「あれ、お母さん。刺身は?」
違和感の正体は刺身の盛り合わせがないことだった。大晦日の夕食と言えば刺身盛り合わせはかならず食卓に上っていた。
「ああ、ごめんね。お刺身はいつもおじいちゃんが酒井魚屋さんに注文していたから」
母は少し寂しそうに言った。その表情を見てそれ以上何も言えなくなった。
じいちゃんは今年の春に亡くなった。少し物忘れはあったけど健康だったから突然の出来事だった。しかし、あの刺身を注文していたのがじいちゃんだったなんて初耳だった。
父と母と三人で食事を始めた。テーブルの上には俺の好きなものばかりが並んでいる。でも、やはり刺身盛り合わせがないと物足りない。刺身と言ってもスーパーの刺身じゃない酒井さんの刺身を俺は欲している。カンパチや帆立など数種類の刺身の中でも脂ののったマグロが好物で、酒井さんの、厚めに切られたマグロの贅沢感が最高だった。
「俺、酒井さんに行って刺身買ってくるよ」
俺が立ち上がると、母は「でも、予約してないからなあ」と口をもぐもぐさせながら言った。
「ダメ元で行ってくる」
俺の足はすでに玄関に向っていた。
外はまだ五時だというのに真っ暗になっていた。しかし「フレッシュストアさかい」の電気は煌々とついていた。
「すみません。予約してないんですけど刺身盛り合わせありますか?」
店に入ると俺は青い帽子をかぶった眼鏡の男性に声をかけた。この人が酒井さんだ。
「あっ、ごめんね。大晦日は予約だけなんだよ」
酒井さんは申し訳なさそうに言った。
そうか、母の言う通りか。俺は肩を落としながら店を出ようとした。すると、
「あれ、もしかして山本さんのお孫さん?」
酒井さんが俺の背中に声を掛けてきた。俺は振り返り、「はい、そうですけど」と返事をする。すると酒井さんは「ちょっと待って」と言いながら近くにあったビニールの包みを俺に手渡した。ビニールの袋の中にはいつもの刺身盛り合わせが入っていた。
「それ、去年の大晦日に山本さんが予約したんだよ。最近物忘れが激しいから来年分も予約するってさ。大晦日に帰ってくる孫がマグロが好きだって嬉しそうに言ってたよ。良いおじいちゃんだったね」
※
帰り道。俺はじいちゃんを思い浮かべていた。いつ帰郷してもじいちゃんとはそれほど会話が弾むわけではなかった。だからじいちゃんが俺の帰りを嬉しそうに語っていたのは意外だった。
そういえば、じいちゃんは刺身を食べるとき、カンパチや鯛を食べていた。白身魚が好きなのかと思っていたけど、今思えば俺の為にマグロに手をつけることはなかったのだ。そう思うと目頭が熱くなった。
来年からは俺が酒井さんに刺身盛り合わせを注文しよう。そう決意しながら俺は大晦日の夜を歩いた。
塚田浩司/柏屋当主。屋代出身。 ※ご感想をお寄せください