おじょこな800字小説 第十八回
「私が知らないお母さん」
作・塚田浩司
家に帰ると、母の部屋のドアが少しだけ開いていた。覗いてみると、そこには私の知らないお母さんがいた。
私が見ていることには気づかずに、ぼーっと外を眺めながらタバコをふかしている。こんな姿は見てはいけない。そう感じた私はドアをそっと閉めてから自室に入った。
母は一年に一度だけタバコを吸う。何度かその姿を見ているけど初めて見た時は驚いた。なぜなら母にタバコは似合わないからだ。
小学校時代の友達が言うに、うちの母は理想の母親なのだそうだ。美人でいつも笑顔を絶やさず、おやつにはクッキーを焼いてくれる。
そんな理想の母が一年に一度だけタバコを吸うのには理由がある。それは昔の恋人が亡くなった日、その日だけは彼の好きだったタバコを吸うと決めているのだ。
母が本気で愛したのはその人だけ。父と結婚したのは寂しさを埋めるためだったらしい。亡くなった恋人はタバコとバイクが似合うワイルドな人。一方、父は太っていて唐揚げと脇汗が似合う人。
この日だけは父のことは忘れて、ワイルドな恋人に語りかける。
私、白髪が増えちゃった。娘が高校に入ったよ。ジャスコは今はイオンだよとか、そんなたわいもない会話を嬉しそうに、そして寂しそうにする。煙が漂っている間だけは二人だけの世界。邪魔することは娘だって許されない。きっとこの儀式を母は死ぬまで続けるだろう。
なーんてのは全部私の妄想。そもそも母親が娘にそんな話をするはずがないし、打ち明けられてもメッチャ困る。でも、案外当たっているような気もする。確かめようはないのだけれど。
ふと時計を見るともう六時。それなのに母はまだ部屋から出てこない。
お母さん、もうすぐお父さんが帰ってくるよ。ご飯の用意しなくていいの? 私は心の中で問いかけながら、わざと大きな足音を立てて母の部屋に近づく。すると、しばらくして部屋のドアが開いた。
「おかえり。帰ってたんだ。これから唐揚げ作るから待っててね」
母は髪を束ねながら小走りで台所に向かった。