ちくま800字文学賞 大賞受賞作「嘘を八百」  田原にか

ちくま800字文学賞 大賞受賞作

「嘘を八百」  

田原にか

 満月の夜、壮太は美優の言葉を思い出していた。

「人間は一人の相手に対して、800までしか嘘がつけないの。だから嘘を800回言いあおうよ。そしたら嘘がつけない関係になれるじゃない?」

 二人は何ヶ月もかけて嘘を言い合った。両親がアラブの石油王だとか、事故物件に住んでいるとか、実は背後霊なんだとか、へそのボタンを押したら頭が飛び出す機能がついているとか。

 そして二人で800個の嘘を言った後、美優は壮太に向かって笑顔で問いかけた。

画 まさきみほ (稲荷山出身)

「こうやって嘘がつけなくなったんだから、私言うね。壮太の事好きよ。でもね、付き合い始めのドキドキは何処かに忘れちゃったみたい。だからさ、壮太と別れて一人で生きる人生を想像したの。でもさ。回転ずしでマヨコーン連続で頼んでも怒らない人いるかな?ブーツ脱いで臭かったから、ブーツ持って追いかけまわしても怒らない人っているかな?

満月を見る度に「狼女だ?」って噛みついても怒らない人っているかな?もうドキドキしなくなっちゃったのに一緒にいたいと言って怒らない人っているかな?」

 月明りで美優の表情が壮太にはわからなかった。しかし壮太は決意を込めた眼差しで美優を見つめた。

「僕は、美優のそばにいるよ。ずっと」

 月は二人の夜空に輝いていた。そして何回も何十回も何百回も、寄り添う二人を照らし続けた。

 そして、それは春なのに、まだ雪が降りそうな寒い朝だった。

 壮太は、病院のベッドで眠るように横になっていた。美優は壮太の皺だらけになった手を握っていた。

「嘘つき。ずっとそばにいるんでしょ」

 壮太は動かない。

「嘘は800回しか言えないんだからね。あれが嘘なら、一個多いよ」

 美優の涙は止まらなかった。そして涙が壮太の手の甲に落ちた時、壮太は突然目を開けた。そしてゆっくりと唇を動かした。

「背後霊が本当になりそうだな」

 美優は「嘘つき」と叫びながら、静かに目を閉じた壮太を強く抱きしめた。

※今月号の「おじょこな800字小説」はお休みです