ひなた短編文学賞 大賞受賞 作品 あらたな色谷地雪

ひなた短編文学賞 大賞受賞 作品 あらたな色谷地雪

中学生の娘が不登校になった。

原因はいじめ。相手方からの謝罪は既に受けているし、学校はそれで解決したことにしている。

それ以上の罰則を求めるのは報復が怖いらしく、娘本人からもういいと言われれば、それ以上は動けない。

主犯とクラスは離してもらったが、学校自体が怖くなってしまったらしく、保健室登校もできていない。

転校しても構わないと伝えたが、今はとにかく学校という場所に行く気がないようだ。

無理強いするような時代でもない。引きこもり気味になった娘を、私は見守ることしかできずにいた。

そんなある日、娘がおずおずとスマホの画面を見せてきた。

「お母さん、あたし、これ行きたい」

表示されていたのは、イラストレーターの個展案内だった。

ネットでいつも見ていたイラストレーターが、初めて個展を開催するらしい。

「もちろん、いいわよ」

喜びすぎてもいけないと、抑えた笑顔で私は答えた。

都内のギャラリーは埼玉の家から二時間はかかる距離だったけれど、そんなことは全然気にならなかった。

場所も遠いし、東京の人混みの中でなら、学校の知り合いに会うこともないだろう。

日曜日、私の仕事が休みの日に、娘と共に個展に訪れた。

鮮やかな色づかいの絵は大人の私が見ても楽しく、「きれいだね」と娘に声をかけた。

娘は、私の声など聞こえていないように、絵に見入っていた。

ああ、そういえば、この子は絵が好きだった。

小学校では美術クラブだった。中学校の美術部は、空気が合わなかったらしく、入ったもののすぐにやめてしまった。

この子は、今でも絵が描きたいのかもしれない。

「ねえ。絵画教室に行ってみない?」

私は近所の絵画教室から貰ってきたチラシを、娘に見せた。

先に一人で見学をしてきたが、比較的大人の多いカルチャースクールのような場所で、添削などはしない、自由な雰囲気のところだった。

同年代の子がいなければ、緊張することもないだろう。

娘は、戸惑った様子でチラシを見ていた。

「でも、あたし、学校行ってないのに。習い事だけするなんて、変だよ」

「変なことなんて、何にもないわよ。あなたの居場所は、あなたが決めていいのよ」

学校だけが居場所じゃない。どこか違う場所でも、楽しいと思える場所があれば。

押し付けにならないように気をつけながら返答を待っていると、娘が小さく「行きたい、かも」と呟いた。

絵画教室に通い始めて、暫く。

「ねえねえお母さん!これ今日描いたやつ!」

「あら!素敵じゃない、特にこの黄色の花」

「でしょ、それ松井さんも好きだって」

松井さん、とは絵画教室で出来た年上の友達だ。日曜だけ来るOLで、仲良くしているらしい。

憧れたイラストレーターと同じように、娘は鮮やかな色を使うことを好んだ。毎日明るい色を使っていると、気分も明るくなるのかもしれない。

学校には今も行けていない。でも、笑顔が増えた。それだけで、私には十分だ。

娘が踏み出した一歩を、私はただ、見守っていく。

【大賞作品寸評/審査委員長・塚田浩司さん】

主人公は不登校の娘をもつ母親です。派手な展開はないですし、最終的にも問題がすべて解決したわけではありません。しかし、娘も、そして母親も、確実に新たな一歩を踏み始めていました。優しさと救いのある素晴らしい作品でした。大賞受賞おめでとうございます。

※今月号の「おじょこな800字小説」はお休みです

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