旅立ちの朝は静かたった。ルームシェアしていた家はもう出てしまったので、出発前夜は、自転車の部品をくれた香港の友達の部屋に泊めて貰った。
出発当日は、皆がまだ寝静まっているうちにパースを後にした。大勢の友人に見送られると走。出す気持ちが揺らぎそうだったので、送りは彼一人だけだった。 気持ちの良い朝の涼しさのおかげで走。出しは快調、荷物を積んで50㎏近い重さになった自転車も、前の家主の指導のもと、重。をたくさん積んでトレーニンフしていたおかけで、あまり苦にはならなかった。
一日の走行距離のノルマは、100km以上。自転車に付けたサイクルコンピューターを見ながら、毎日100km越えるまで走り続ければ、シドニーから日本に帰るための飛行機に余裕で間に合う計画たった。 旅の初日はペースがまだわからないので、あまり飛ばしすぎないよう、まだ明るいうちからその日の野営地を探しけじめ、136.4kmまで走って第一日目の走行を終わりにした。
野営に関してはいくつか注意しなければならないポイントがあった。あまり早くからテントを張って “ここで寝てますよ”と誰にでも判るのは不用心だし、夜、クルマのヘッドライトの照射範囲に入ってしまうのも、同様に避けなければならなかった。
尚且つ、“自転車で出かけたバカな日本人は才レが連れ戻す!”といういかつい管理人のセリフも聞いていたので、彼から身を隠す意味もあって、夜は、パースから砂漠の金鉱の街まで、ハイウェイに沿って走る背丈はどの送水管の裏にテントを張って、道路から見えないように過ごしたのだった。
送水管はパースから離れるにつれ日に日に細くなり、やがて飛び越せる程になってテントは隠れなくなってしまった。だがその頃にはもう、追手に怯えることもなくなり、アウトバックでのひとりの夜を楽しめる余裕も出てきたのだった。