歴史探訪シリーズ 更埴条里水田址(し)

歴史探訪シリーズ

更埴条里水田址(し)

(屋代田んぼ)

 屋代地区から森・倉科地区一帯に広がる屋代田んぼ。現水面下の地下60~100cmほどに、平安時代の条里水田が眠っている。仁和4(888)年の大洪水によって砂に覆われたまま良好な状態で保たれ、昭和40(1965)年代に、わが国で最初に埋没した条里水田跡の発掘調査が行われた。その下層には、森将軍塚が築かれた頃の古墳時代の水田や、弥生時代の水田跡も確認されている。屋代田んぼは、二千数百年におよぶ歴史を重ねた水田である。

 条里地割は1965年から行われたほ場整備事業によって姿を消した。しかし、毎年9月下旬ごろ稲穂が黄色くなると、生育の遅れた稲が緑の筋となってあらわれる。これは地下に眠る条里地割の畔や道筋に育つ稲が、栄養不足で育つことにより出来る模様で「クロップマーク」と呼ばれる珍しい現象だ。

 「現在においても森将軍塚古墳をはじめとする墓域と集落域、生産域といった古代からの空間構成を視覚的にとらえることができる稀有な歴史空間が広がる」東京大学の設楽博己教授はこの地域のことを論文の中でこう表現している。王墓の麓に稲作とともに暮らした人々の営みを二千年にわたって追体験できる場所なのである。