第四十三回「鈍感な男」 作・塚田浩司 おじょこな800字小説 「ねえ、私を見て何か気づかない?」
夕食中、妻に
訊かれ、正樹はドキッとした。正樹は昔から鈍感だった。妻が髪を切っても買ったばかりのスカートを履いても気づかない。妻を不機嫌にした回数は数知れず。出来るだけ妻を不機嫌にしたくない正樹は平静を装いながらじっと妻を見た。
髪型は変わっていない。と思う。では、メイクか? メイクも変わった様子はない。と思う。じゃあ服か。いや、この服は見たことがある。と思う。参ったなあ。全然わからない。困っていると妻が口を開いた。
「もういいわ。あなたの鈍感さは今に始まったことじゃないものね」
妻は冷たく言うとそれっきり口を閉ざしてしまった。
※
夫の正樹は昔から誠実なところだけが取り柄だった。女心がわかっていないから腹の立つこともあったけど、今となっては鈍感な夫で良かった。
髪もメイクも服も、本当は何も変わってなんかいない。それなのに正樹ったらじっと私の顔を覗きこんで馬鹿みたい。これならいくら外泊をしても疑われる心配はなさそう。友達と旅行に行くと言えばコロッと騙されてくれる。正樹が鈍感な男で良かった。
※
「何か気づかないって聞かれても何もわからなかったよ。髪型でもメイクでも服でもない。結局答えは何だったんだろう」
正樹はワイングラスを回しながら言った。
「あなたって鈍感だものね」
女は微笑んでからワインを口に含んだ。
「鈍感じゃなくておおらかって言ってほしいね」
「はいはい。そうね」
「そうだ。それより来月はまとまった休みが取れそうなんだ。湯布院辺りどうだろう」
正樹はスマホを女に見せた。そこには高級旅館のホームページが表示されていた。
「わあ、素敵な旅館。嬉しい」
女が笑ったがすぐに真顔に戻し、「でも奥さんにバレたりしない?」と続けた。
正樹はワインを飲み干してからグラスをテーブルに置いた。
「大丈夫さ。あいつは人を疑うことを知らないから」
「ふーん。鈍感な夫婦なのね」
女はフフフと笑いながらワインを口の中で転がした。