ウッドハウスの世界(13)
森村たまき
こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。前回は二〇〇七年十月の米国ウッドハウス協会のコンベンションの翌日、ニューヨーク州ロングアイランドの旧ウッドハウス邸を訪ね、お墓参りをした時のことをお話ししました。今回はその続きです。
ウッドハウスが七〇代から九五歳で亡くなるまで暮らした終の住処は、レムゼンバーグのバスケットネック・レーンというところにあります。NY州のロングアイランドというのは、マンハッタンから一時間以上かかるにもかかわらず現在は大変な高級住宅地で、一体どんな人が住んでいるのと目を瞠るような大邸宅が建ち並んでいるエリアです。とはいえ、ウッドハウスが引っ越した当時はまだまだそれほどは住宅開発が進んでおらず、ほぼ森の中の一軒家状態で暮らしていたようです。ウッドハウスの一番最初の伝記を書いたデイヴィッド・ジェイセンは何度もウッドハウス邸を訪問していたのですが、ウッドハウス家の所有を離れて長らく経ってから再訪したところ、ここがその地とは判別できなかったと述べています。
私が二〇〇七年にノーマンとエリンのマーフィー夫妻と、ウッドハウス・コレクターのジョン・グレアムと一緒にお墓参りをした後、初めて訪問した時、もちろん所有者が変わってしまった旧ウッドハウス邸には入れなかったのですが、でも、ウッドハウスが泳いだことがある入江とか、ウッドハウスが郵便を抱えて行ったり来たりした道とか、この辺一帯を散歩好きだったウッドハウスは歩いたのよね、というようなところを歩きました。さらに、動物好きだったウッドハウスが関わった「バイダ・ウィー」というペット・シェルターと、ウッドハウス家の動物たちが眠る墓地にもマーフィー夫妻に連れて行ってもらえたおかげで墓参ができました。
長野流の「お斎」の夕食を、サウスハンプトンのレストランで四人でいただき、私の初ウッドハウス終の住処訪問は友人たちの助けで、非常に思い出深いものとなったのでした。その後、アメリカに行く度に、この地は訪問しています。
さてと、宣伝で恐縮ですが、六月にウッドハウスの最長名作長編『ボドキン家の強運』が国書刊行会より刊行予定です。二月に刊行された『H・L・A・ハートの生涯 —悪夢、そして高貴な夢』(岩波書店)は、四月十七日朝日新聞に書評が出ました。ご一読いただければ幸いです。
※(写真)ここがウッドハウスの終の住処、バスケットネック・レーンです。