「上山田温泉物語」 第11回 「長野オリンピック」と祭りの後
1989年、昭和天皇が崩御され平成の時代になった。新年会など自粛があり厳しい年明けとなったが、その後長野オリンピックに向け、長野県内は賑わいの回復を見せていた。
オリンピック期間中の宿泊客室を確保するために、大手旅行会社を中心に仕入れセンターという宿泊手配専門の事務所が長野に設立されオリンピックまではバスツアー、エース、赤い風船、メイト等のパッケージツアーで集中的な送客がされた。
旅館はオリンピックの指定旅館となり、旅館ごとにスポンサー、マスコミ、警備、観戦ツアーなどに割り当てられた。開催期間中は長野県内の道路は不要不急の移動は避けるよう案内があり、首都圏でも幹線道路の電光掲示板に「オリンピック開催中長野県内道路規制中」等表示され、例年2月に行われていた同級会・各種会議等も自粛され、一般宿泊客はほとんど宿泊することができなくなった。
実は日本の経済は1991‐2年のバブル崩壊以降、長野県以外の地域はすでに団体観光が減少していた。長野オリンピック閉幕後、急速にバブル崩壊の波が遅れてやってきた。旅行志向も個人旅行へとシフトした。新幹線や高速道路網が飛躍的に整備され影響はあんずの里、善光寺などは、東京から日帰りが可能になり、宿泊する必然性がなくなった。
旅館の誘客活動も旅館・営業マンが減少した。以降入込は年々減少を続け、2011年の東日本大震災後、目的地を東北から振り替えて若干増加を見ただけであった。長野五輪以降27年、宿泊規模拡大や団体中心集客のツケが大きな負担となり、温泉街も変革してきている。
この頃から徐々にネットによる個人集客が増えてきている。
長野オリンピックの記念グッズ

