「上山田温泉物語」 第12回 「団から個」戸倉上山田温泉の将来は
この温泉の歴史は、鉄道の開通をきっかけに、北国街道の往来が徒歩から鉄道へ切り替わり、戸倉宿の商いが不振となり温泉掘削に活路を見いだすことに始まった。戦後は鉄道を利用した集客が増えた。
国際イベント長野五輪をきっかけに高速道路網が整備され新幹線が開通した。軽井沢~篠ノ井間は、しなの鉄道に代わり、特急あさま・急行信州・団体臨時列車の停車駅だった戸倉駅は寂れ、東京からは戸倉上山田温泉も別所温泉と同様に上田で新幹線から乗換が必要になる。来訪手段は鉄道から高速道路利用のマイカーに変化した。変化は交通だけではない。予約がリアル旅行会社経由から楽天・一休・じゃらん等のネット予約経由にとって変わる。
個人客の多かった別所温泉の経営者の五輪後の言葉を思い出す。「戸倉上山田温泉の後を追ってきた別所温泉は回れ右をして今は先頭にいる」と。
2019年の台風19号からコロナ禍により斬減しつつあった温泉宿泊客はさらに減少し、ほぼ4年間の宿泊者数が通常の3割程度となる厳しい状況にみまわれた。
交通インフラや自然環境の変化や有事により入込客は激変する。この132年の歴史を振り返り教訓として得られたことだ。
コロナ後、旅館には政府の活性化策により新たな投資が行われつつある。県道の移設拡幅が検討され、併せて後継者・若者が興味を持ち、住民・観光客がともに歩いて楽しめる町づくりの為の議論が行われている。議論に終わらず自らどの様に行動し実行するかの時が来ている。
変化のために今この街にいる一人一人が考え行動しなければ。
現在の戸倉上山田温泉

132年前までは千曲川の河原
だった場所に今ある町。
132年後はどうなっているだろうか?
行く先は住民みんなが決め、それぞれが実行する。