「上山田温泉物語」 第17回 まちづくり再生への具体策を!
かつて温泉でまちづくりを成し遂げた
1960年(昭和35)2月に発行の乙部泉三郎・高野博夫共著「長野県戸倉上山田温泉のあゆみ」に、1959年(昭和34)10月現在の戸倉上山田温泉の内容が記述されている。旅館組合加盟旅館数64、企業団体等保養所5、料理飲食店58、芸妓寮数61、芸妓数147人、土産品・売店13、雑貨店化粧品8、食料品5、青果13、菓子17、魚・肉14、その他食品(酒・味噌・醤油・米・茶・パン・豆腐・こんにゃくなど)17、薬局4、たばこ4、洋服・呉服7、履物・足袋・洋品7、時計4、ラジオ・写真4、文具・書店3、上山田温泉郵便局、八十二銀行、長野信用金庫、長野県商工信用組合(現長野銀行)、幼稚園・保育園3、国立長野病院1、医院5、歯科医院3、美容室12、理髪店9、自動車運送3。
1893年(明治26)には何もない千曲川原に開湯し1959年にはこれだけの町ができあがっていたのである。1970年代には130万人程あった入湯客数が、昨年度は50万人弱ほどに減少して旅館数は30へ、店舗数も激減した。
基準地価が上山田温泉では昨年の1㎡当たり317百円に対し315百円。全国的には上昇傾向だがバブル崩壊後の基準地価は下がり続けている。客数減にドーナツ化と高齢化とトリプルパンチである。
現在まちづくりについて推進会議で議論されている、理想と同時に実行に移すには具体的な計画・投資が必要だ。
(上)温泉マップ(下)明治38年

