「上山田温泉物語」 第3回 温泉を利用した地域おこしと病院
千曲市上山田温泉3丁目の住宅街に長野寿光会上山田病院があります。なぜ大規模な病院がここにあるのでしょうか?
昭和9年(1934)上山田村は傷病兵療養施設「宇都宮衛戍(えいじゅ)病院上山田陸軍転地療養所」を建設し陸軍に献納しました。上山田温泉(株)も病院専用の源泉を掘削して、この病院に寄付しました。
高田第13師団第50連隊、松本第13師団歩兵第50連隊が宇都宮第14師団に編入され、宇都宮は長野県の兵士達にもゆかりが在ったからだと思われます。大正から昭和初期には主に中国・満州での作戦に参加しており、傷病兵にとって温泉療養は効果があったといわれています。
上山田温泉の旅館も傷病兵を受け入れたほか、見舞いの戦友や家族が宿泊。陸軍の演習の将兵や航空機製造会社の社員が、八幡原古戦場の見学途中に大勢宿泊することもありました。
戦後1945年9月には国立長野病院として地域の中心的病院となります。
しかし「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根改革により、国鉄、電電公社、専売公社が民営化され、JR、NTT、JTに。日本航空も民営化され、これらの改革により1997年7月、国立長野病院は国立東信病院と合併し上田へ。その後は長野赤十字上山田病院となりました。さらに医師不足により廃止問題が浮上し、2009年4月に長野寿光会上山田病院となりました。
宇都宮といえば餃子が有名ですが、中国・満州で主な作戦をしていたため、その関係があるのかもしれません。1960年代中頃まで上山田温泉でも牡丹荘という料理店があり、30センチもあるような大皿に鍋貼りの餃子が放射状にきれいに盛られ提供されていたことを思い出します。
戸倉上山田 陸軍療養所