第6回 「上山田温泉物語」 戦争への足音と戸倉上山田温泉 戦後の戸倉上山田温泉

「上山田温泉物語」第6回 戦後の戸倉上山田温泉

 筆者(若林正樹)が帰省したのは昭和57年(1982)。温泉街を歩いていた時、年配者から「須見大佐がやっておられた旅館はどこですか?」と尋ねられた。「須見さんと言えば三楽荘ですね。」と答えたが、父から初めて須見新一郎大佐はノモンハン事件(1939)に関係した人ということを聞いた。事件は大本営陸軍参謀・瀬島龍三、関東軍作戦課・辻政信らが主導し、死傷率76%という甚大な被害の責任を現場の部隊長に負わせた。大佐は退役させられた後、軍関連の土地があった戸倉温泉に「三楽荘」を開く。

 司馬遼太郎もノモンハン事件を小説化しようと何度も取材に訪れたが、司馬が瀬島龍三と対談したことを知ると、それまでの取材内容の使用及び今後の取材を拒否した。司馬はノモンハン事件の執筆を断念する。瀬島は戦後、伊藤忠商事会長・相談役、亜細亜大学理事長、日本電信電話顧問等を歴任している。

 三楽荘にはテニスコートもあった。昭和30年代には「しげの家」前、笹屋ホテル駐車場の場所に笹屋のおかみさんが園長先生の「さゆりホーム幼稚園」があり、三楽荘テニスコートで幼稚園の運動会が行われた。

 三楽荘はすでに廃業されたが、須見さんのお孫さんは上山田温泉でお元気にお仕事をされている。

 「滝の湯旅館」(現在廃業し、玉の湯と名前を変え営業)のご主人・武井脩さんは、戦中に満州で活動を行っていた。食通で、おしぼりうどんや、ラムしゃぶしゃぶを名物にした。武井さんは関東軍、南満州鉄道、中国軍閥とネットワークを持っていた。

 この人間関係が戸倉上山田温泉の戦後復興に大きな役割を果たす。(次号に続く)

長野信用金庫横の路地は以前は 戸倉温泉「三楽荘」へ続く道。

左奥に旅館、右側にテニスコート があった。       


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三楽荘の旧所在地: 〒389-0807 長野県千曲市戸倉温泉

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