さらはにズム ちくま論説 2024年1月

さらはにズム ちくま論説 2401

▼今から110年ほど前、「大逆事件」という恐ろしく、おぞましい事件が起こった。明治維新と大政奉還が成立し、自由民権運動が起こり、列国と条約が交わされ、富国強兵、殖産振興が進んで、日清・日露戦争に勝利し、列国と肩を並べ、いよいよ明治政府は天皇中心の独裁的な中央集権国家へと歩を進めていく。一方、社会は各地に農民騒動、反戦運動、貧富の差の拡大への不満が増大しつつあった頃の事件だ。

▼国外ではロシア革命が勃発、それに刺激されてか日本にも社会主義運動が広がり、明治政府はそれに対して「治安警察法」などで弾圧をきびしく始めた。1910年(明治43年)明治政府は当時の社会主義者を一網打尽にすべく、明治天皇暗殺を計画したという嫌疑だけで幸徳秋水ら24人を逮捕し、非公開の一審のみのスピード裁判で12人の死刑を執行した。

▼当時埴科郡屋代町の新村忠雄も社会主義者の一人として、一方的に実行犯(冤罪)と見做され処刑された。世直し一心の弱冠23歳であった。

▼先月24日彼の命日、屋代の生蓮寺の墓前に椿のひと枝を手向けた。雪の舞う寒い日であったが、数人の墓参者が認められた。手を合わせながら、現今の政治資金パーティー裏金問題や、生活の格差、防災対策、不透明な日本の将来について、新村忠雄だったらどんな言動をするであろうかと思った。今年は選挙の年。千曲市のリーダーと議員を選ぶ機会を大切にと強く感じた。

生蓮寺(千曲市屋代)