さらはにズム ちくま論説
今から200年ほど前のあんずの里森村の名主・中條唯七郎が残した「本家日記」を読む講座が開設されて一年が経った。三月の講座で講師の柄木田先生は、中条唯七郎が何故数十年の間、当時の農村の自然現象や社会現象をありのままに記述した膨大な記録を残したのかを熱く語られた。
▼それについては先生の共著「江戸の人と身分5」の「覚醒する地域意識」に詳しい。唯七郎は弘化4年、今までの記録を整理して当時の社会の変化の様相を「見聞集録」にまとめた。そこには商品経済、貨幣経済や文字文化が広がっていく様子が記されている。具体的には、物価高の社会、売買自由の社会、その結果人間性を変化させ、芸能三昧の人情を生み出し、経済的繁栄をもたらしたと評価する半面、それにともなう人情の変化には決して幸せな社会ではなくなったと否定的。現代社会を予言しているような記述だ。
▼さらに「見聞集録」は記している。農具などの向上で生産力が高まったのは人間が努力して工夫したからではない。四季があるように春が来れば人知を使わなくても生産力は高まるのだと。唯七郎が「見聞集録」の中で示した世界観(地域社会論)は新しい秩序を要求する主体的な人々には、少し理不尽な発想だが、私たちの将来への強くて温かい警告だと理解すべきではないか!
▼唯七郎は「見聞集録」の目的を、将来の無用の用に備えるためと記し、柄木田先生は「現実を直視し、変化の諸相から私たちに必要な地域社会を創造するのは現代社会に住む私たちの課題でもある」と結んでいる。