さらはにズム ちくま論説 25年8月

さらはにズム ちくま論説 25年8月

 ▼今年は昭和100年、戦後80年という大きな歴史の節目を迎えた。上山田城山にある善光寺大本願別院観音寺の境内には「更埴満州開拓殉難慰霊碑」が建立されている。これは元々城山の山頂に昭和42年(1967)4月に建立されていた「更埴満州開拓殉難塔」を平成6年(1994)4月に移転・建立したものである。

▼長野県が旧満州(現・中国東北部)に満蒙開拓団や青少年義勇軍を最も送り込んだ県である事を知る人も多いだろう。30万人ともいわれる開拓民のうち、長野県からは18歳以下の義勇軍を合わせ3万数千人が海を渡った。現在の慰霊碑の横に移築された「更埴満州開拓殉難塔」の銘文には更級、埴科両郡では1200人余りが渡満したと記されている。塔に合祀された物故者は更級郡375柱、埴科郡256柱、その他の開拓団及び義勇軍関係で366柱と合計997柱に上る(「上山田町英霊顕彰録」(昭和58年刊行)より)。

▼観音寺の西澤住職によると関係者らによる慰霊祭は数年前に執り行われたのが最後だという。是非この夏、若い世代も碑を訪れて郷土の先人を偲んで欲しい。(W・S)

更埴満州開拓殉難慰霊碑

(善光寺大本願別院 城泉山観音寺境内)