さらはにズム ちくま論説
▼『2019年、香港では民主化を求める大規模なデモが続き、戦闘が起きる日々が続いていた。多くの人が故郷を離れ、祖父母・親世代が自由の避難所としてイギリス領香港に逃れたように、今度は私たちの世代が世界へ散っていった。そのような状況の中で、私は来日した。来日後は長野県で日本語を学び、学校や、アルバイト先を通じて多くの方々と出会った。皆さんは私の故郷を心配し、香港を応援する声を寄せてくれた。それが、長野県とご縁を結ぶ最初のきっかけとなった。大学時代には、地域活性化に関心を持つゼミに所属した。そこで、香港人が辿ってきた運命と、長野県が直面する地方再生の課題を結びつけることができるのではないか、という考えが頭に浮かんだ。私の未来戦略は、共存共栄の社会をつくることだ。私のような背景を持つ者も、この新天地で生きていける社会を創りたい。いま、千曲市の方々と協力し、農業や将来的には教育など幅広い分野での展開を目指している。信州愛を共有できる優秀な人材をこの地に招き入れ、ともに発展していきたい。いま取り組んでいることには公式な手本は存在しない。成功できるかどうかはわからない。しかし、世界の遊牧民となった香港人として、そして地域を豊かにしたいと願う一人の長野県民として、これは私に課せられた使命なのだ』
▼このメッセージは2年前、知己の紹介で知り合った、香港から日本に移住してきた若者のものだ。千曲市の自然環境、交通の便、出会った人たちに魅了され、市内の企業にも無事就職が叶い、定住することを決めたのだという。千曲市の住民になるという誇りさえ感じる熱いメッセージだ。千曲市の将来にとっては願ってもないIターンの話ではないか!この若い新しい市民を何とか皆で支援し育んでいきたいものだ。
▼過去の話になるが、今から百年以上前、屋代町のある若者が、地域のために医者になりたいという夢があったが家庭の事情や経済的理由で断念せざるを得なかった。しかし当時の担任の教師をはじめ、地元の政治経済の人格者たちの温かい支援を受けて、医学の道を進むことができた。
▼1946年、埴生町杭瀬下の尾米川の畔に彼は小さな医院を開いた。現・千曲中央病院である。昨年10月に長野県知事より「社会医療法人」の認定を受けた。今年7月には80周年を迎える。
▼人と人の出会いは人と人の繋がりを増殖して、地域社会の原動力になるのでは。
