さらはにズム ちくま論説
▼ 明治40年代に起きた前代未聞、極めて理不尽な「大逆事件」に連座、暗黒裁判で死刑を求刑され処刑された新村忠雄の命日の1月24日、屋代の生蓮寺に墓参した。墓前で手を合わせていると、なぜか昨年の安倍元総理の銃撃事件が脳裏に浮かんだ。近頃タモリさんが言い出した「新しい戦前」という言葉が人口に膾炙しているが、今の日本の社会情勢は「大逆事件」の頃の不透明で納まりのない世の中のような気がしてならない。
▲墓参後「ちくま検定」のウェブ「ちくま大百科」の「事件・出来事」を検索し、社会主義に殉じ、時代の先駆者であった新村忠雄を再認識して、冥福を祈った。
▼「ちくま大百科」によると、千曲市には他に過去大きな出来事が何件か起こっている。明治3年には松代藩全域や北信4郡に農民一揆、いわゆる午札騒動が起こった。明治維新の大変革のなか松代藩の財政は困窮を極め、その対策に藩札を発行したり更科村の御用商人大谷幸蔵に献策を依頼した。農民にとって当時凶作が続き減租嘆願が必至の状態のところに、松代藩の藩札の条件も厳しく押し付けられ、遂に農民たちの我慢は限界に達し、上山田村の一農民、小平甚右ヱ門が先導となって2万人もの農民が大挙して松代城下になだれ込んだ。嘆願書は受理されたが、甚右ヱ門は処刑された。
▼大正15年、時の長野県知事は何の前触れもなく屋代、岩村田、中野の警察署を廃止することを決めた。町では町民・郡民大会を開き、町長・助役・町会議員が総辞職して抗議し、屋代町も新村寅次郎町長が先頭に立って県庁へ押しかけた。知事は免職となり3つの警察署は復活した。
▼時の権力に果敢に立ち向かってきた我が町の先人たちの情熱と志が「ちくま大百科」のウェブには収録されている。若い世代にも新村忠雄や小平甚右ヱ門や新村寅次郎達の生き様に触れてみる良い機会だろう。