ウッドハウスの世界(16)森村たまき

ウッドハウスの世界

森村たまき

(16)

 こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。一回お休みをいただいてその前はウッドハウスが終生愛したダリッジ・カレッジのお話をしました。今回はウッドハウスが二歳の時に暮らしたバースの家についてお話ししましょうか。

 ウッドハウスはイギリス生まれですが、父親が香港の治安判事裁判所の裁判官だったため、二歳まで香港で暮らしました。そして一八八三年、二人の兄とともに母国イギリスに送られ、世話係のミス・ローパーと生活するようになります。それから五歳で寄宿制のデイム・スクールに入学し、十三歳で魂の故郷、ダリッジに転入するのです。

 ウッドハウス伝は数多いのですが、その大半がウッドハウスを、幼くして親元を離され、謎のミス・ローパーなる女性に世話された後に寄宿学校に入れられて、長期休みにはおじさんおばさんの家を転々として過ごし(ウッドハウスには伯父・叔父さんが十五人以上、伯母・叔母さんが二十人以上いました)た「親の愛を十分知らずに育った子ども」として描いています。これほど過酷な幼少期を過ごしながら心を病むことなく天才を開花させたウッドハウスはすごい、的な評価をされることすらあります。けれどもウッドハウス自身は自分の子供時代は「そよ風のごとく過ぎ去った」と、ごく当たり前の親の元でごく平凡な少年期を過ごしたと語っているのです。本人がそう言ってるのだからそれでいいじゃないというのが森村説です。

 というわけで、二歳のウッドハウスが暮らしたサマセット州バースの町を訪れたのは二〇一七年、当時大学生だった姪っ子と一緒のウッドハウス紀行となりました。バースはローマ時代の温泉遺跡で知られ、バース・ストーンと呼ばれる蜂蜜色の石灰岩の壮大な建物群が連なり拡がる、街全体が世界遺産に登録されたそれはそれは美しい街です。

 実は近年の研究から、幼いウッドハウス兄弟がミス・ローパーと暮らした家は、ウッドハウスの母方の祖父母の家の数軒隣であったことが明らかになっています。現地踏査した私が見たところでは、見晴らしの良い丘陵地の中腹に建つ祖父母の家は高い塀で囲まれたバース・ストーン造りのかなり大きなお屋敷で、ウッドハウス兄弟の家はその数軒並びの、おそらく元々その屋敷の家作であったと思われる小型の家で、これは祖父母の家の一角に世話係を置いて住んでいたと見るべきだなあというのが実感でした。

 熱帯病が猖獗を極める植民地ではなく、母国で我が子を育て、教育を受けさせるというのは、当時の植民地統治階級の親たちにとってはごく一般的な子育ての形でした。親元を離れる辛さ寂しさはあったでしょうが、ウッドハウスも当時の中流階級の、ごく普通の育てられ方で成長したのです。

 写真はウッドハウスが幼少期に暮らした家の入り口。通りに面した間口は狭いのですが、丘の中腹にあるため、この下にずっと建物と庭が広がっています。