コラム 漢字と花  桔梗 古名 阿利乃比布岐

コラム 漢字と花  桔梗 古名 阿利乃比布岐

・乎加止々岐

 秋の野の花を詠める歌二首 山上憶良

 秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種の花

 荻の花 尾花 葛花 なでしこの花

 女郎花 また藤袴 朝がほの花 芹・薺(奈端菜)・御形(五行)・菘・蘿蔔(清白)・仏の座・繁縷 春の七草が正月七日に七草粥として食用にする為、緑色の野菜が選ばれている。

 秋の七草は観賞用にするもので、七夕祭りの頃に咲くごく普通に里山近くで見られる植物を七種選んだのではないか。

 秋の七草の朝顔には昔から、朝顔説・木槿説・桔梗説が有ります。

 「朝顔は 朝露負ひて 咲くと云へど 夕陰にこそ 咲きまされけり」 作者不詳

 出典は万葉集です。朝顔と木槿は朝方花が開いて夕方には萎む一日花であり、右の和歌の情景と相違が判然としています。

 両方共栽培植物で、更に木槿は草で無く落葉低木です。以上の事から山上憶良が言う野の草に当らず、桔梗が定説となっています。

 下総の國には「咲かずの桔梗」伝説。朱雀天皇の御世、平将門は八幡大菩薩の使者と称する遊女の神託に従い新皇を称し、朝廷に叛旗を翻す。追討の命を受けた下野押領使藤原秀郷(俵藤太)と平貞盛(将門の従弟)の連合軍に敗れてしまう。この時将門の愛妾桔梗の前が敵方に内通したと思い、怒りから姫を殺害、その後将門も非業の死を遂げる。

 無実の罪の姫の怨念と、将門の怨念が籠った亡霊の祟りで、この地には桔梗が生えても花は咲かないという。

 関東地方の村によっては、現在でも桔梗の花が咲くことは災害の前兆として花を甚だしく忌む村もあるそうです。

 桔梗伝説との関係から、関東には血腥い古戦場の跡地などに、桔梗塚や桔梗が原という地名が今も名残りをとどめています。(山田信彰)