シリーズ 未来への提案駅とまちづくり2 戸倉駅について

戸倉駅について 

当時の大正橋と戸倉駅

・鉄道の開通と北国街道の衰退
(イ)大政奉還により、加賀藩、富山藩、高田藩を始めとする北信越諸藩の参勤交代制度の廃止などが行われる。代かって鉄道が開通する。
(口)信越線の全線開通は1893(明治26)年4月1日。これらにより、戸倉宿が廃れて、変革を迫られた。この年が戸倉温泉開湯の年であることに注意したい。

 そして誘致活動により1912(明治45)年2月11日戸倉駅開業。開業後は大正から昭和初期にかけて戸倉上山田温泉は多くの文人墨客の来訪、陸軍衛戍上山田病院設置、野球グラウンドの設置などで知名度が上がり駅利用者も多くなり発展する。

②団体臨時列車(団臨)運行
1961(昭和36年)戦後の復興に合わせ、団体臨時列車の運行が始まる。
 戦後国鉄のダイヤ調整会議を上山田温泉に誘致することに成功し、その中で戦後復興には西洋のように観光列車が必要だという夢が語られ、そのダイヤの隙間に、観光列車ダイヤがつくられたと聞いている。

③特急あさまの停車駅
1966(昭和41年)あさま運行開始。戸倉駅は停車駅となる。
 鉄道と宿泊と定期観光バスを利用した企画商品が人気を呼び、駅前売店や駅前飲食店が増える。また温泉と駅を結ぶバスータクシーの利用が増えタクシー会社は戸倉上山田温泉だけで3社あった。


④高速交通インフラの長野県への整備
1993(平成5年)長野自動車道更埴JCT・豊科IC~長野東IC開通。
1996(平成8年)上信越自動車道、小諸IC~更埴JCT開通。
1997(平成9年)10月1日長野新幹線開通、信越線軽井沢~篠ノ井間はJRからしなの鉄道へ移管される。


 特急停車駅だった戸倉駅がしなの鉄道に変わるJR、JTB他大手旅行会社の企画商品が縮小されて、その後ますます個人客が減少する。鉄道に代わってバス・自家用車などを利用する温泉客が増加する。
 戸倉駅の利用客は千曲駅の開業と冠着橋の架け替えにより一層減少する。また駅にエレベーターがないので高齢者は千曲駅を利用することが増えた。

 今後の戸倉駅は千曲川サイクリングロードと鉄道の夕ーミナル。荷物を旅館へ移送するサービスなど新たな利用を模索する必要がある。

 余談だが戸倉駅の跨線橋やホームの屋根に使かねている鉄材は古いレールを再利用したものである。イギリスの鉄鋼メーカー名と年号が刻印されている。

 新幹線新駅は設置不可となったが、交通インフラの変化は地域の発展衰退に大きな影響をもたらすことは戸倉駅の歴史が証明している。この観点からの議論が無く、損得だけで語られたことが私は残念だ。地域作りを総合的に語り合う場と議論が必要と思っている。

若林正樹

 【ちくま未来戦略研究機構 ・調査研究部】