フォト&エッセイ 自転車のある風景 第十八回 オーストラリア横断自転車旅行⑥ 何もない旅の1日

フォト&エッセイ 自転車のある風景

第十八回 オーストラリア横断自転車旅行⑥

何もない旅の1日

始まった時は非日常だった自転車の旅も、日々を重ねるうちに次第にそれが日常になってしまう。それをしなければ出発することが出来ない寝袋やテントをたたむという行為も、慣れるに従って手際もよくなり、そうなってくると毎朝のルーティーンが楽しい時間になってくる。

テレビやラジオ、雑誌や本等の娯楽が身の周りに溢れている日本での生活と違い、何もない旅の日々では与えられたものを楽しむのではなく、身近にある物の中に(半ば強引に)楽しさを見つけていくことが孤独な一人旅を楽しむコツなのかもしれない。無人島に流されたロビンソンクルーソーやキャストアウェイの主人公になったようなものだ。 

広いオーストラリアでは何日走っても周りの風景が変わらず、一日中一台の車とも出会わずに、周りにいるのは羊だけという日もある。走って来る自転車に気が付くと、羊たちは草をはむのをやめて一斉にこちらを見る。常に羊たちの視線を浴びながらずっと走っていると、この瞬間自分が絶対的なマイノリティーだと気付かされてなんとなく落ち着かない気分にさせられる。そんな時は歌を歌う。洋邦のヒット曲から童謡、はては学校の校歌まで知っている曲を片っ端から歌って、羊たちの視線の圧力に対抗するのだ。

歌うことで今まで恐怖の対象であった羊たちがオーディエンスに変わる。歌がうまいわけではないが知ってる曲のレパートリーは広い。普段あまり役にたたない特技が意外な場所で活かされたのだった。 

旅の日々は決してドラマチックなことばかりではない。しかし何もない日々の中で自分なりの楽しみを見つけることが大切なのは、今のわれわれの生活でも同じなのかもしれない。

(写真)この風景がずっと続く。