杭瀬下スポーツ少年団 50周年記念式典
旧更埴市のスポーツ少年団で最初に設立された「杭瀬下スポーツ少年団」が50周年を迎え、8月12日に杭瀬下区民会館で記念祝賀会が執り行われた。同スポーツ少年団は昭和49年(1974)秋に、当時の更埴中央病院院長だった大西雄太郎さんらが中心となり誕生。市内のスポ少活動の先駆けとなった。
記念祝賀会で大西さんは設立当時を振り返り「近所の野球をやっていた子どもたちが、ボールが畑に入ってしまったのを一人きりでずっと探していた」のを目の当たりにし、スポーツとしての指導の必要性を痛感したのがスポ少発足のきっかけだったと明かした。自治体単位ではなく、地区ごとにスポーツ少年団が組織されていったのは全国的にも珍しいという。
年々団員数は増え、最盛期には埴生小の100人を超える児童が入団していたが、近年は少子化とスポーツ競技の多様化で激減。現在では埴生地区と屋代の杭瀬下区からの児童を合わせ団員数は6人に。試合には埴生スポーツ少年団と合同で出場しているという。
同日の午前中には千曲橋緑地グラウンドで記念の野球大会も開催。OBや大人たちと2試合を行った。
関係者や現役の指導・児童ら40人余りが出席
大西雄太郎さん
当日行われた50周年記念野球大会