沖縄【信濃の塔】慰霊戦跡巡拝 長野県遺族会が現地を訪問

沖縄【信濃の塔】慰霊戦跡巡拝 長野県遺族会が現地を訪問

長野県遺族会による沖縄県の「信濃の塔」慰霊戦跡巡拝に参加した半田好和さん(千曲市雨宮)からお便りをいただきましたのでご紹介します

@令和6年2月6日から9日にかけ長野県遺族会主催による沖縄「信濃の塔」慰霊戦跡巡拝が行われました。

 当日は前日の大雪の為、日程が変更になり急きょ取りやめた方もいらっしゃいましたが、飯山から飯田までの県下各地から30名の参加がありました。

 沖縄では戦没者追悼式、慰霊祭が行われたほか南部戦跡を巡り戦時中の様子その後の復興などを学びました。信濃の塔は、沖縄がまだ日本に復帰する前の昭和38年に戦没者の慰霊をするために故郷である長野県内から集め運ばれた石により建てられたもので翌39年2月に完成しました。慰霊塔は都道府県ごとに摩文仁の丘を含め沖縄本島南部に建立されています。

 式は沖縄戦により亡くなった千三百名の方、大戦により5万5千名の長野県関係者が亡くなっており、その慰霊をするため沖縄県糸満市摩文仁の丘において開催されました。

 追悼式において長野県、長野県議会、沖縄県、沖縄県議会、糸満市の代表の方が参列し献花を行い戦没者の追悼をしました。また慰霊祭では、長野県神社庁より神職が派遣され玉串奉奠などの祭事が執り行われました。

 いま、遺族会も遺児の方々も高齢化になってきています。戦没された方々の追悼を行い、平和な社会を次の世代に引き継いでいくことをしています。しかし、多くの方から追悼慰霊を継続していくことができるか心配な意見が出てきています。

(雨宮遺族会会員・半田好和)

「信濃の塔」(写真上)の建立に当たっては当時の更埴市からも倉科の鏡台山麓の「石英閃緑岩」が送供されている