第一回 荒砥城跡(上山田)千曲市『山城』散歩

第一回 荒砥城跡(上山田)千曲市『山城』散歩

 「なつくさや つわものどもが 夢のあと」・・・山城とは、山を削り、土を盛って作られた城である。1983年に長野県教育委員会が行った中世城郭跡の分布調査では、実に県内に1265カ所が確認されているそうだ。川中島四郡として、合戦の舞台となった千曲市には17もの山城が確認されている。

 現在も当時の堀や土塁が残る山城。春うらら、四季折々の自然に触れ、教科書には載らない地方の小国が、どのように戦乱の世を生き抜いたのか・・・思いをはせながら、山城歩きを楽しみたい。このコーナーでは地域で守り伝えられてきた市内の山城を、一つずつ紹介する。

〇千曲市城山史跡公園「荒砥城跡」

 標高590m。上山田温泉城山入り口から山頂近くまで車で数分ほどで行くことができる。整備に5年を費やし1995年にオープン、山城の復元例としては、全国で2番目に整備された公園だ。駐車場が完備され、見張り台の「やぐら」や城主の入る「やかた」が復元され、気軽に山城の魅力が味わえる。NHKの大河ドラマ「風林火山」の撮影では、武田晴信の初陣シーンのロケ地に使われた。

 戦国時代、この地をおさめていた村上氏の一族「山田氏」によって築かれた。1553年、武田軍の圧倒的な軍勢の前に、村上氏の本拠地である葛尾城(千曲市・坂城町)が落城、荒砥城も城主を失い山田氏は滅亡した。この時、武田方についた屋代氏が、荒砥城を与えられ拠点とする。5回に及ぶ川中島合戦ののち織田信長が信濃方面へ侵攻、1582年に武田勝頼が自刃し、武田氏は滅びた。それによって上杉景勝が善光寺平を掌握、村上景国を海津城(松代城)の城主とする。しかし、副将であった屋代秀正は、徳川家康に内通して上杉方に背き、海津城を出て荒砥城に立て籠もる。1584年、上杉軍に攻められた荒砥城は落城して、城としての役割を終えることとなった。逃げ延びた屋代氏はいずこへ。それは次回に。

 山城の魅力でもある眺望は抜群で、千曲川の雄大な流れと、戸倉上山田温泉街はもちろん、北アルプスや戸隠山、南は坂城町や上田市北部まで見渡すことができる。やぐらに登って春の風に吹かれながら、圧巻のパノラマを体感してほしい。

眺めは最高で遠く上田市まで望むことができる

千曲市内の山城分布(荒砥城 展示パネルより)