「上山田温泉物語」  第7回 団体旅行・列車旅行ブーム

「上山田温泉物語」  第7回 団体旅行・列車旅行ブーム

(前号から続く)

 戦後、武井脩さんがかつて満州時代に知遇を得た満鉄幹部は帰国し日本国有鉄道幹部となる。つてを生かし上山田温泉に全国国鉄のダイヤ編成調整会議を誘致した。1週間~10日宿泊し彼らは各鉄道管理局のダイヤ、管理局をまたぐ特急や貨物列車のダイヤの調整をするいわゆるスジ屋さんの会議だ。

 英国のトーマス・クックが1800年代半ばから列車による安価な団体旅行を行っていた。会議の中で、それを参考に観光貸切臨時列車の夢が語られ、その仮想ダイヤが想定された。たまたま運輸族の国会議員の後援会旅行にこのコースが採用され評判を呼び、このダイヤが善光寺・日光周遊団体臨時列車(団臨)として大人気となる。

 戸倉上山田温泉は戦後復興をまずはこの国鉄の団体臨時列車で成し遂げる。筆者が小学校から下校時に戸倉駅から貸切の川中島バスが大正橋を渡る時の歓迎花火の音がよく聞こえた。

 一方、個人旅行は「周遊割引乗車券」が1955年に発売され周遊ゾーンが提供された。時刻表を片手にした旅行スタイルができた。時刻表の後ろにキャッチフレーズ「駅長さんも太鼓判」国鉄推薦の宿が掲載された。宿は日本観光旅館連盟(日観連)という組織を作り、旅館関係者のみならず、町長・町議会議員も加わりキャラバン隊を組織し大都市の駅等に誘客セールスに出かけた。

 鉄道旅行と善光寺参拝と戸倉上山田温泉。ここに「善光寺の精進落としの湯」の代名詞が全国区になった。

 余談であるが私も学生時代、赤いトーマス・クック・ヨーロッパ鉄道時刻表を片手にバックパックを背負って鉄道旅行をした。

堤防に整列した観光バス(昭和30年)八王子水門から清風園辺りまでバスが並ぶ。

出典:郷土出版社刊「昭和写真大全 長野・千曲」