ウッドハウスの世界(6)森村たまき

こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。今回も英国ウッドハウス協会主催二〇〇七年の『ア・ウイーク・ウィズ・ウッドハウス』ツアーのお話の続きをいたしましょうか。
 初日のレセプションではウッドハウスのお孫さんで英国上位裁判所元判事サー・エドワード・カザレットやウッドハウスの甥御さんのパトリック・ウッドハウスにも会えてお話もでき、何よりもアメリカ、ロシア、オランダ、インド、マレーシアから集まったコアなウッドハウスファンたちと巡り会え、またイギリスのファンたちの心からの歓迎がうれしく、ここから始まる一週間への期待とわくわく感はいやが上にも高まるのでした。
 この一週間の前半は、ロンドン周辺のウッドハウス史跡、たとえば作家の母校ダリッジ・カレッジや、ジーヴス・シリーズの舞台になったロンドン中心部をノーマン・マーフィー引率の下ずんずん歩いて回ります。後半は参加者全員で貸切バスに乗ってウッドハウスの生誕地サリー州ギルフォード、ウッドハウスが青年時代を一時期過ごし、その土地の名をプランティンダス城シリーズの城主の名前に冠した港町エムズワース、そしてフフンディンブズ城のモデルとなった二つの城、ウェストンパークとジュートリー城をけじめとして、パーティーのダリア叔母さんの居館ブリンクレイ・コートのモデル、ガッシー・ツィンク=ノトルが地元グラマースクールの卒業式で演説した講堂のモデル、そして五人のおばさんが棲む「おば、おば、おばの大海原」こと、デヴリルホールのモデルとなったチイニー・コートなどなどなどを回るのです。
 ところで、新しくできたウッドハウス友達たちと毎日うざうざ歩き回る、夜はウェストエンドでお芝居などを観てうかうかと楽しく時を過ごしながらも、私は一つ、大きな不安を抱えていました。ツアーの参加申し込みをした後、トニー・リングという、これまたこの世界では超有名なウッドハウス研究家から連絡が来て、バスツアーの途中でウッドハウスの文章の朗読やウッドハウスークイズなどの企画を予定しているのだけれど、あなたは翻訳者なのだからウッドハウスを日本語に翻訳するご苦労などについてスピーチをしてくれないかと依頼があったのです。そして……案の定というか、スピーチ原稿はまだ全然仕上かってはいなかったのでした。というところで、この続きは次回にいたしましよう。

写真はウッドハウス・ウォーク引率中のノーマン・マーフィー。