コラム 漢字と花 除月(師走) 雛罌粟 ひなげし 漢名 虞美人草

コラム 漢字と花 除月(師走) 雛罌粟 ひなげし 漢名 虞美人草

 原産は欧羅巴でポピーと、ポッピイと表記する時も有るようです。この表記だと莟がぽんと開く音が聞こえる感じがしますね。

 本邦には江戸時代に渡来、栽培禁止の罌粟とは別種です。

 秦帝國滅亡後の混乱の中から、覇権を争う項羽と劉邦、二人の英雄の戦。

 紀元前二〇二年除月、劉邦率いる参拾万の兵が項羽の立て籠もる垓下城を包囲する。

 後世、蕭何・張良と共に漢の参傑と称された韓信の献作により、包囲軍の中から突如として楚國の歌が闇の夜に響き渡る。「四面楚歌」の由来です。

 籠城中の兵達に動揺が広がり、脱走兵が相次ぐ状況下、項羽は祖国の楚も既に制覇されたのかと思い戦闘意欲を失う。

 韓信の心理作戦が見事に的中したのです。

 項羽の感情はたかぶっている。慷慨して自ら詩を作る。

  力は山を抜き気は世を蓋えども

  時利あらず 騅は逝かず

  騅の逝かざるを奈何せん

  虞や虞や 若奈何せん

 項羽この詩を繰り返し歌い虞姫が唱和。

「項王涙数行下る 左右皆泣き 能く仰ぎ視るものなし」司馬遷の歴史書「史記」はこの文章で締め括っており、歴史に関係の無い虞姫の運命には全く触れておりません。

 楚漢春秋には項羽の詩に対して、虞姫の返歌を載せている。

  漢兵 既に地を略し

  四方楚歌の声

  大王の意気尽きたれば

  賤妾 何ぞ生を聊んぜん

 後世の文人達はこの場面に様様な潤色を施す。虞姫は唱和し終えると剣を賜わり、その剣で頸動脈を切り自ら命を絶った。

 虞姫の血が滴り落ちた地から可憐な花が芽生え、人々はこの花を虞美人草と名付ける。(山田信彰)