歴史講演会「石清水八幡宮領小谷荘と屋代政国」より
[講師・国立歴史民俗博物館名誉教授・井原今朝男さん]
戦国期の国人領主・屋代政国は天文22年(1553)の川中島合戦において武田側に与し、武田信玄の北信濃進出に大きな役割を果たした。
政国は屋代城を本拠地としていたが、信玄から荒砥城を知行地として与えられる。また猿ヶ馬場峠を守るため佐野山城を任された。当時、桑原は米の市が開かれるなど戦略・交通の要衝であった。
京都の石清水八幡宮の文書には当時の小谷荘(おうなのしょう・現在の八幡~塩崎地区)の耕地や年貢高が記されており、当時の領主と農民との関係が読み取れる。
(2月13日・八幡公民館)