essay 東京だより(第13回)

essay 東京だより(第13回)

 こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。毎月お届けしてきたこちらの連載ですが、今号にて一区切りとなります。今回は私が評議員として関わってもいる長野県出身学生のための信濃育英会信濃学寮の常務理事、久保田宗貴さんのご紹介をさせていただきましょう。

 久保田さんは昭和18年のお生まれで、屋代高校を卒業後は慶應大学で国際政治を学ばれ、昭和41年に北野建設に入社されました。慶応在学中に観戦した慶早戦で、早大野球部にいた同郷の先輩、春原選手がレフトスタンドにホームランを打ち込んだのが鮮烈な思い出だそうです。

 入社後は海外事業部で10年あまり勤務され、その間インドネシアや中東のサウジアラビア、イエメンで長く働かれました。若い頃に赴任されたインドネシアではすぐに現地になじみ、半年ほどでインドネシア語に不自由しなくなったそうです。その後、プラント建設専門の千代田化工建設にてほぼ30年インドやメキシコのプラント建設現場と本社(横浜)での調達業務に携わられました。赴任当時のインドは非常に貧しく、いろいろ苦労したけれど今はよい思い出だったと振り返られます。

 信濃育英会では寮運営に心を砕かれるだけでなく、県出身の寮生たちと海外からの留学生をつなげる交流事業にご尽力され、学生のための国際交流旅行を毎年続けていらしたのですが、それはこうした海外経験で国籍を越えて人と人とがつながる大切さを実感されてきたゆえなのだと拝察します。

 ご実家は篠ノ井共和で昭和初期からりんご農家を営まれてきた旧家で、久保田さんは6人兄妹の4男さん。欧州放浪で出逢ったアメリカ人の奥様とニューヨークに永住された一つ上のお兄様がいらっしゃったことはかねがね伺っていたのですが、昨年は亡きお兄様の一人娘さんの元を訪ねられたそうで、今やその姪御さん(久保田ニナさん)はニューヨーク市学校建設局をCEOとして率いる立場なのだと嬉しそうにお話ししてくださいました。

 今期にて信濃育英会の常務理事のお役はご退任されますが、今後も県出身学生の支援は公私ともに続けていかれることと期待します。屋代高校時代の思い出は全校マラソンで千曲川の土手を走ったこと、とおっしゃるのを伺って、私もその場所とそこに吹く風の香りを思い出しました。

※久保田宗貴さんと市ヶ谷駅入口で

著者紹介 

 森村たまき 翻訳家 内川出身