北国街道 歴史こぼれ話(第4回) 明治天皇巡幸その三(下戸倉宿)

北国街道 歴史こぼれ話(第4回) 明治天皇巡幸その三(下戸倉宿)

 北国街道の上戸倉宿と下戸倉宿は二つで一つの宿駅(宿場)を構成していた。前述のとおり明治天皇巡幸に際して各地に宿泊所や休憩のための御小休所が定められたが、下戸倉では旧本陣の柳沢嘉一郎宅が、天皇が食事を摂る行在所(あんざいしょ)に選ばれた。

 一行を迎えるため、下戸倉村と磯部村でも道路の整備を行い国道に一寸五分(約4・5cm)の厚さの砂利が敷かれた。また、行幸に先立ち8月には県から「御巡幸ニ付人民心得書」が布達され、奉迎に当たっての住民への注意事項を周知した。

 9月8日の午前10時に巡幸一行は下戸倉村に到着、村を挙げての熱烈な歓迎を受ける。明治天皇は柳沢嘉一郎宅で昼食を摂ったほか、邸内に設けられた池で鯉を釣った記録が残っている。そのほか、春蚕繭や生糸などの地域物産を天覧した。この行在所となった邸宅は後に長野市真島の寺院に移築されている。

 北国街道の各宿駅は宿駅伝馬制度が明治5年(1872)に廃止されて以降、時代の変貌に飲み込まれていく。飯盛女(めしもりおんな)の禁止も相まって戸倉宿は天皇巡幸時の明治11年には宿泊者数が減少、旅籠数は12軒まで激減していた。戸倉が宿場町として栄えた往時の賑わいを取り戻すのは明治26年(1893)の戸倉温泉の開湯を待たねばならなかった。(続く)

明治天皇行在所址

(戸倉)