北国街道 歴史こぼれ話(第6回) 明治天皇巡幸その五(矢代宿)

北国街道 歴史こぼれ話(第6回) 明治天皇巡幸その五(矢代宿)

 北国街道を北に向かうと矢代宿で須須岐水神社に突き当たり、道は東に鍵状に折れ曲がる。矢代宿はこの神社を境に南側の本町組と北側の新町組とに分かれ、それぞれに宿役人が置かれ伝馬役※1を務めていた。北国脇街道(=松代街道)との分岐点があるのは新町組の方で、道を挟む形で脇本陣と本陣があった。

 代々宿役人を務めた柿崎源左衛門家は、越後上杉家家臣で米山城主の柿崎景家※2を祖とすると伝わる。景家の次男・景晴が矢代に移り住んだことが矢代柿崎家の発祥という。本陣源左衛門家、脇本陣善兵衛家ともにこの矢代柿崎家の一族。

 明治11年(1878)9月8日、矢代宿に到着した明治天皇一行は矢代宿の旧本陣、柿崎源左衛門宅で小休止を取った。この後、千曲川を渡河し丹波島宿へと向かう。(続く)

※1・伝馬(てんま)役…街道の宿場(宿駅)で人馬を提供する義務。※2・柿崎景家…(1513?~1574?)上杉四天王の一人。上杉謙信に仕え、第4次川中島合戦では先陣を切ったとされる猛将。

明治天皇御小休所址(現・屋代神明町)