ちくま論説 さらはニズム

ちくま論説 さらはニズム

▼平成3年(1991年)千曲市の森将軍塚古墳が多くの市民などの協力により完全復原された翌年の夏のある日、教育委員会(当時更埴市)の係長さんから電話があり、古墳の復原完成を記念してイベントを開催したいが相談に乗ってくれないか、という話があった。市内の諸団体に呼びかけて実行委員会をつくり、その前の企画委員をやってくれ、ということで次の年からは事務局の企画委員長をおおせつかった。地域の歴史と風土を生かしたまちづくりで、更埴商工会議所の矢島会頭をトップに実行委員会が結成された。この文章は「屋代を語る会」の会長だった故・宮下紘一さんが会誌「やしろ」第4号への寄稿記事「森将軍塚まつり」冒頭部分である。

▼森将軍塚まつりの生みの親ともいうべき宮下紘一さんは4年前の10月16日に逝去。享年77歳であった。彼の生涯は「LOVE・やしろ」を旗印に、郷土愛のまちづくり一筋であったと言っても過言ではない。消防団、青年会議所、屋代商工会、千曲商工会議所などに参加、中心的リーダーとして活躍。更埴どんしゃんまつり、森将軍塚まつり、やしろヨイヨイなどを実施し、更埴市民新聞の発行、千曲かるた、屋代かるたなどの創作も手掛けた。特筆すべきは屋代地区全体の情報誌「やしろ」の創刊と継続、また「やしろ」の読者が300名を擁している事実、亡くなる直前の26号まで積み重ねた執念。

▼彼の生前の偉業は何と千曲市の市長が掲げている千曲市のスローガンではないか!「千曲市文化伝承創造都市」よ永遠なれ!