ちくま未来戦略研究機構 シリーズ未来への提案 「知るべきこと」

 ちくま未来戦略研究機構 シリーズ未来への提案 「知るべきこと」

 五十年近く前のことだ。高校のホームルームの時間に「部落差別問題」が議題となった。私の番がまわってきて「部落差別は歴史が生んだもので、時代とともになくなっていくのではないか」といったことを語った。その後、クラスメートの一人が立ち上がり「ずっと知っていてほしい。いや知るべきだ」と強い口調で言った。別の一人は「知らない人間がそんなことを言うな」と泣きながら訴えた。自分は何も言えなかった。差別の現実を何も知らないで、聞いたりしたことだけで「同和問題」「部落差別」を知ったように語ってはいけないと思い知らされた。

 かつて私たちの地域で起きた事件について、長野県同和教育推進協議会の『あけぼの 人間に光あれ』にも掲載されていることについて以下のように概要をまとめてみた。

 昭和25(1950)年、今の千曲市にある学校で、給食の当番にきた被差別部落のお母さんが作ったみそ汁を「汚くて飲めない」と言った子供が床にこの汁をあけてしまった。さらに被差別部落の女の子に拭かせるという「差別事件」が起きた。当時の長野県の林虎雄知事が現地を訪問して「こんな悲しいことは二度と起こしてはいけない」と力説し、部落差別をなくすための「同和教育」の必要性を訴えた。このころ日本国内各地で部落差別で命を失う悲惨な事件が相次いで起きたという。

 こうした差別を現場で止めることはできなかったのだろうか。「だめだ。やめろ」と、なぜ「勇気」を出して言えなかったのだろうか。差別は悪いこととわかっていても「見て見ぬふり」は何もしていないのと同じだろう。学校生活や社会生活を営むなかでは、いろいろなことが起きる。差別やいじめをしてしまうのは人間の弱いところ、ダメなところだ。これを強い心を持って断ち切ろう。教育の現場でも、知るべきこととともに、強い心を持って「差別はだめだ」と強く教えてほしいと思う。

(次回は来年2月号)

ちくま未来新聞特任記者・中澤幸彦