ウッドハウスの世界(8)森村たまき

 こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。今回は私か初めてアメリカウッドハウス協会のコンベンションに参加した時のお話をいたしましよう。

 世界中にウッドハウス協会はあるのですが、最大なのはもちろん作家の生誕地イギリスのもの。しかし、ウッドハウスが後半生の大半を過ごし、そこで没しかアメリカも大きなウッドハウス協会の組織を持ち、二年に一度、全米各地の支部がホストを務め、ウッドハウスの誕生日十月十五日前後の週末に大々的なコンベンションを開催しています。私か初めて参加したのは、二〇〇七年十月にロードアイランド州の州都プロヴィデンスにて、ウッドハウス協会ニューインプラント支部NEWTSがDIYlne PFoYldence、「神の摂理」と銘打って開催した大会です。

 私は一九九〇年から二年間、お隣のマサチューセッツ州ケンブリッジに住んでいたことがあり、プロヴィデンスの地を訪うのは初めてではありません。その後もアメリカには子連れ含め何度か行っているのですが、でもそういえば一人で行くのは初めて。しかし、夏にイギリスで沢山のアメリカのウッドハウス友達と、秋のアメリカの大会でまた会おうねと再会を誓い合ってしまったし、またニュージャージー州在往、ラトガース大学経済学部のジョン・ブレアム教授かうちに来ればいいよと言ってくれたので、ジョンのところに泊めてもらって一緒にプロヴィデンスに向かい、帰ってきたらニューヨークのウッドハウス史跡を訪問して、さらにニューヨーク州ロングアイランド、レムゼンバーブにあるウッドハウスの終の住処を訪ねてお墓参りをしよう、という鉄壁の行動計画ができ上がってしまったのです。

 友達のいる旅行というのは、行けばなんとかなるので心強いものです。私はまずはニュージャージーのジョンの家でジョンの世界有数のウッドハウス初版本コレクションを見せてもらい、パートナーのホールともども車でプロヴィデンスに向かい、現地にてイギリスで仲良しになったホールとモニカの婚約中のカップルと合流。ジョンの母校、名門ブラウン大学をみんなで見に行って帰ってきたらば、イギリスから来たノーマンとエリン・マーフィー夫妻けじめ、イギリスで友達になった全米各地のウッドハウス仲間たかが地元のウッドハウス仲間を引き連れて続々と到着中で、ハブとキスとはじめましてのご挨拶に大忙しの大会開始前夜を過ごしたのでした。というわけで、プロヴィデンス大会のお話はまだまだ続きます。


最終夜のコスチュームパーテイーではジョンも私も見事入賞しました。ジョンは「シュロップシヤー農業ショー最高位賞」私は「最高のお手伝いさん賞」