「上山田温泉物語」 第12回 「団から個」戸倉上山田温泉の将来は この温泉の歴史は、鉄道の開通をきっかけに、北国街道の往来が徒歩から鉄道へ切り替わり、戸倉宿の商いが不振となり温泉掘削に活路を見いだす
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「上山田温泉物語」 第11回 「長野オリンピック」と祭りの後 1989年、昭和天皇が崩御され平成の時代になった。新年会など自粛があり厳しい年明けとなったが、その後長野オリンピックに向け、長野県内は賑
「上山田温泉物語」 第10回 「湯気の向こうにグァムが見える」
「上山田温泉物語」 第10回 「湯気の向こうにグァムが見える」 「湯気の向こうにグァムが見える」 森の「あんず祭り」が昭和31年に始まるが、旅館の営業マンは目玉として企画書を作った。後には観光協会
「上山田温泉物語」第9回 戸倉上山田温泉の最盛期を迎えて
「上山田温泉物語」第9回 戸倉上山田温泉の最盛期を迎えて 昭和32年。全国温泉コンクールで5位に入選し、全国的知名度を得るようになった後、大型観光バスも観光輸送のもう一つの主体となった。昭和49年(
「上山田温泉物語」第8回 激動の観光ブーム「松代群発地震」と「天と地と」
「上山田温泉物語」第8回 激動の観光ブーム「松代群発地震」と「天と地と」 激動の観光ブーム「松代群発地震」と「天と地と」 団臨と周遊券で順調に伸びてきた観光も、大きな波を受けることになる。 19
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「上山田温泉物語」 第7回 団体旅行・列車旅行ブーム (前号から続く) 戦後、武井脩さんがかつて満州時代に知遇を得た満鉄幹部は帰国し日本国有鉄道幹部となる。つてを生かし上山田温泉に全国国鉄のダイヤ
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「上山田温泉物語」第6回 戦後の戸倉上山田温泉 筆者(若林正樹)が帰省したのは昭和57年(1982)。温泉街を歩いていた時、年配者から「須見大佐がやっておられた旅館はどこですか?」と尋ねられた。「須
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「上山田温泉物語」 第5回 5・戦争と学童疎開と光明国民学校 日本本土大都市への本格的な空襲が開始されました。子供を空襲から守る名目で、地方の親類を頼っての縁故疎開、縁故のない子ど
第4回 「上山田温泉物語」 戦争への足音と戸倉上山田温泉
第4回 「上山田温泉物語」 戦争への足音と戸倉上山田温泉 城山山頂にはふるさと創生一億円事業で平成7年(1995)に荒砥城址が復元オープンされ、城山史跡公園「荒砥城跡」となりました。 遡って昭和1
第3回「上山田温泉物語」 温泉を利用した地域おこしと病院
「上山田温泉物語」 第3回 温泉を利用した地域おこしと病院 千曲市上山田温泉3丁目の住宅街に長野寿光会上山田病院があります。なぜ大規模な病院がここにあるのでしょうか? 昭和9年(1934)上山田村