寂蒔立場 (間宿)
主要な街道には宿場のほかに旅人や人足などが休憩する場所として「立場」(たてば)という休息所も設けられていた。杖を立てて一休みした場所ということからその名がついたと言われる。北国街道にもいくつかの立場があり、規模の大きなものは集落を為し「間宿」(あいのじゅく)と呼ばれた。立場は正規の宿場とは異なり宿泊は認められていなかった。
下戸倉宿と矢代宿の間には寂蒔立場があり、多くの旅人の休憩地として茶屋が建てられた間宿であった。嘉永2年(1849)に刊行された「善光寺道名所図会」によると寂蒔立場では真田紐が土産品で売られていたり、茶屋が冠着山や更級の名所を望遠鏡で見物させて人気となっていたことが記述されている。現在は埴生公民館寂蒔分館がある北側が茶屋のあった場所で、すぐ近くには曹洞宗永昌寺のほか、第11代天皇・垂仁天皇の王子・伊登志和気命(いとしわけのみこと)を祀ったとされる天皇子神社があり、その境内は王子の陵墓跡だと伝わる。
このほか北国街道では矢代の渡しから千曲川を渡った先にある篠ノ井追分も北国西街道との分岐点にある立場として賑わいを見せていた。(続く)


