特 集
千曲中央病院理事長
患者本位の診療、地域医療に尽力

■長野県の医療政策発展に貢献
千曲中央病院理事長、院長を務めた大西雄太郎さんが8月22日午前7時10分、肺炎のため死去した。90歳。長野県医師会長を2006(平成18)年より3期務めた。仙台市生まれ。
大西さんは2006年2月25日、県医師会の臨時代議員会で長野県医師会の会長に選出された。その時に紹介された経歴によると、大西会長は昭和10年生まれ。昭和37年日本大学医学部を卒業(外科学)。昭和56年、特定医療法人財団大西会・更埴中央病院院長に就任。千曲医師会理事、長野県医師会の理事、常務理事、副会長を経て平成18年4月、第23代会長に就任。70歳の時だった。
会長就任にあたって医師会のインタビューでは、当時の医療制度について「国民あっての医療制度、と思うが『医療制度あっての国民』となってはいないか。『患者あっての医療』が基本のはずだ」と指摘した。併せて「県民の、医師の、社会の風の音を聞き、その風をよみ、県民の目線でその風の中で遊び、専門的職業団体としての風を送ろう」と抱負を語った。
会員の医師たちには「公的医療保険のもとで国民皆保険制度を堅持する以上『医政なくして医療なし』である。そのためには地域社会のリーダーであってもらいたい」と社会に強い医師会を目指してほしいと訴えた。
座右の銘としては「人間の運命の大部分は、その人が受ける愛の多少によって決定される。人間の価値の大部分はその人が与える愛の多少によって決定される」という作家、下村湖人の言葉を紹介した。
■「ロタオ」誕生
千曲中央病院というよりも大西病院といった方が馴染みのあるシニアの方は多いではないだろうか。
創設者の大西益太郎さんは雄太郎さんの父親。その伝記「遥(はる)ばると、集いし人々とともに 大西益太郎伝」(清水協著)の中では、東北帝国大学医学部で学んだ益太郎さんは「(ロタ島から内地留学した)仙台に来てから半年後の昭和10年11月、待望の長男が生まれたのであった。(中略)※ロタ島で懐妊したる長男は仙台で生まれ雄太郎と命名(下から読めばロタオ 恩師の熊谷岱蔵(たいぞう)教授が名付け親に)。母、加代(旧姓柳沢)。」と雄太郎さんの名前の由来を紹介している。※現・北マリアナ諸島
大西医院の先代で父親の益太郎さんの思いを継いだ雄太郎さんは終生、患者さんのため、地域医療のため尽力された。ご冥福をお祈り致します。
(本紙特任記者・中澤幸彦)

