ウッドハウスの世界(15)森村たまき

 こんにちは、イギリス生まれのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの翻訳をしております、森村たまきです。しばらくアメリカのウッドハウス史跡の話が続きましたので、今回はイギリスに戻ってウッドハウスが生涯愛した母校、魂の故郷ダリッジーカレッジの話をいたしましようか。


 「カレッジ」と付きますが、ダリッジ・カレッジはいわゆるパブリックスクールと呼ばれる私立の中高一貫校です。ウッドハウス在学当時から、ダリッジ校はオックスフォードとケンダリッジに送り出す奨学金付き学生数の多い名門校でした。父親が香港で治安判事職にあったため、二人の兄とともに早くから両親の元を離れ、寄宿制の学校を転々としてきたウッドハウスですが、仲の良かった兄のアーマインが同校に入学し、当時海軍訓練学校に在学中だったウッドハウスは兄を訪問して、この学校と恋に落ちたのです。 一八九四年五月二日、十三歳の時、父親を説得してダリッジ校に編入したウッドハウスは、青春の最も幸福な時代をこの学舎で過ごしました。

古典学を専攻し、学業優秀、ラグビー、クリケットの選手として活躍し、学内演劇の催しではギリシヤ喜劇に出演し、後輩学生を指導する監督生徒となり、学内誌『アレイニアン』の編集に携わり……と、本当にキラキラした「スター」学生でした。


 ダリッジ校での最終学年の一年間、ウッドハウスは兄の進んだオックスフォード大学に当然自分も進学するつもりで、奨学生資格を勝ち取るべく学業に精励しました。ところが父親から、家族のの財政状態の急変により大学の学費を支払えないこと、香港上海銀行の行員として職を確保したことを告げられてしまうのです。

 大学進学を断念し、ウッドハウスは香港上海銀行のロンドン本店に幹部候補生として就職し、昼間は銀行で働いで夜は作家となるべく新聞雑誌に投稿する文章を書くという生活を二年続けた後に専業作家となります。


 卒業後もウッドハウスの母校愛は減ずることなく、ダリッジ校のラグビーとクリケットの主要戦を観戦するために母校を頻繁に訪れました。また、ダリッジ周辺をヴァレーフィールドと名づけ、数多くの小説の舞台として登場させています。憧れ焦がれたオックスフォード大学からは、後年、文学への功績をたたえて名誉博士号を授与されています。

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